備教育

どうも無理 (才能教育通信678号 2005年)

ある家庭で、最初の子供のときから、夕食後に子供とテーブルを囲んで、絵を画かせたり、字を教えたりして楽しむ習慣をつけていた。二番目の子供にもこの習慣が続けられ、上の子供が本を読んでいると、下の子供が絵を画いている。やがて三番目の子供がテーブルで絵を画いているころには、一番上の子供は別のテーブルで自分の学習をやるようになっていた。同じテーブルでは学習がうるさくなったのであろう。

上の子供が学習するのを毎日見ている二番目の子供も、やがて夕食後、自分の机をもらって学習を自発的にやる習慣がついていった。こうなればもちろん三人目も、やがて机に向かって一人で学習することが、当然のことのように行われていったのである。

幼いときの生活習慣は根強いものである。誰でもそうすることが当然のように思って行動していくようになる。このように長い時間をかけて、巧みに学習することを子供たちが毎日の習慣にしてしまう上手な親もあるのを、私は知っている。

親が幼い子供のために、少しは落ちついてテーブルを囲み、子供とともに楽しい時間をもつことだ。毎日のわずかな時間が、やがて子供が落ちついて机に向かって学習する心の基礎となっていく。

親が机に向かったこともなく、子供とともに落ちついてじっとしている習慣のない生活で子供を育て、やがて子供だけ一人落ちついて学習させようなどと要求することは、どうも無理というものである。

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