先輩こんにちは

ラミー弦楽四重奏団 (機関誌153号より 2005.9.22発行)

今回登場するのは、京都出身のメンバー4人が全員スズキ・メソードで育ち、アマチュアとして30年以上活動している弦楽四重奏団。東京と京都にメンバーが二分された現在も、活発な演奏活動を続けています。音楽を生涯の友として生きるスズキ・メソードの大先輩4人に、結成から現在までの音楽活動について語っていただきました。

プロフィール

田中 信介さん(第一ヴァイオリン)
田中 敬子さん(第二ヴァイオリン)
壁瀬 宥雅さん(チェロ)
江村 孝哉さん(ヴィオラ)


京都で生まれ育ったスズキ・メソード門下生により、1973年に結成。ヴィオラの巨匠プリムローズ氏の指導を受け、チェロの林峰男氏ほかプロの演奏家とも数多く共演する。ヴァイオリンの田中夫妻が東京に移った後も「遠距離カルテット」として活動を続け、88年より3年連続でカザルスホール「アマチュア室内楽フェスティバル」に参加。93年、NHK-FMの「第11回クラシック音楽最前線 弦楽四重奏からの風紋(1)」にて、カザルスホールで演奏したショスタコーヴィチ:弦楽四重奏第4番が放送される。同年結成20周年コンサート、03年、東京・京都で結成30周年コンサートを行ない、現在も活躍中。

スズキ・メソードを心の糧に音楽を一生の友として

世の中には星の数ほどアマチュアの弦楽四重奏団はあるが、「玄人はだし」という言葉が、これほど似つかわしい団体は他にない。2005年で結成32年目を迎えるラミー弦楽四重奏団は、アマチュアの域を遙かに超えた卓越した音楽性と技術もさることながら、結成以来、3分の2以上の年月を、ヴァイオリンの田中信介さん・敬子さん夫妻は東京に、ヴィオラの江村孝哉さんとチェロの壁瀬宥雅さんは京都にと離ればなれに暮らしながら、「遠距離カルテット」として現在まで活動を続けてきたというユニークな特徴を持つ。

子育てや仕事に追われながらも20周年、30周年の記念コンサートを東京・京都で行ない、いまだ演奏への情熱は衰えることを知らない彼ら。そんな4人を支え、演奏活動を続けるための原動力となっていたのが、彼らが青春時代をともに過ごした才能教育研究会京都支部だった。

「プロにならずに、音楽を一生楽しむように」の言葉を胸に

才能教育研究会京都支部には、今年で発足以来47年を迎える生徒のオーケストラ「コンチェルティーノ・ディ・キョウト」がある。メンバー全員が京都出身であるラミー弦楽四重奏団のメンバーは、学生時代全員ここに所属し、アンサンブルを楽しんでいた。この団体を主宰し、73歳になる現在も指導しておられるのが新井覚先生。才能教育研究会がスタートした当初から京都支部の第一線で活躍している新井先生の指導に、4人は非常に大きな影響を受けたという。

メンバー中、最年長であり、ラミー弦楽四重奏団のスポークスマン兼リーダー的存在でもある壁瀬さんは、当時をこう振り返る。

「新井先生は和音にこだわったり、細かな仕上げをおろそかにしない先生でした。
『プロにはならずに、音楽を一生楽しんで続けていくように』というのが方針で、当時の仲間ではパイロットになった人間もいましたね。ヴィオラの江村先生だけは、新井先生の言葉に逆らってプロになりましたが」(笑)。とはいえ、その指導が厳しさ一辺倒だったわけではない。
「むしろ優しくみんなを包んでくれる感じの先生で、知らず知らずのうちにみんなが一つになっていくんです」(敬子さん)
「みんな勝手なことをやっているつもりが、実は新井先生の手のひらにいたに過ぎない」(江村さん)
「そして遠くからいつもニコニコと見守っていてくれるんですね。何をやっても『あかん』と言わない先生でした」(敬子さん)
「穏やかな指導の中にも、音楽に対して強いこだわりのある先生です」(信介さん)
という新井先生の指導の一つひとつが、4人の音楽的基礎のバックボーンとなっていった。

壁瀬さんによると、小学校低学年から合奏に親しむ環境の中で、自然に楽譜を読む能力が身についていったのも「コンチェルティーノ・ディ・キョウト」があったからこそ。
「確かに才能教育は最初のうちは楽譜を使わず、耳から音楽を聴いて覚える教育法ですが、ある程度の年齢になれば、楽譜を理解することはそれほど難しいことではありませんし、中学生くらいからでも十分に初見能力を養うことができます。小さいうちはまず楽器の扱いに慣れ、耳を養うという才能教育の指導法は非常に優れていると思います」

結成時は、まだ高校生だった敬子さんがファースト・ヴァイオリンで別のメンバーがセカンド・ヴァイオリンとして参加していたが、大学受験を終えた信介さんと交替してからはメンバーの変更はない。信介さんは大学院卒業後に東京に移り、現在はKDDI研究所に勤務。後に信介さんと結婚した主婦の敬子さんは二児の母、壁瀬さんは総本山醍醐寺の僧侶のかたわら、アマチュアとして演奏活動を続けている。

一方、メンバーである意味で唯一プロになった江村さんは、才能教育研究会のヴァイオリン指導者であり、関西地区の指導者会の委員長。いまでは新井先生の片腕として、ともに「コンチェルティーノ・ディ・キョウト」を指揮し、後進の指導にも余念がない。

多彩な演奏活動から得る刺激と発見が継続の原動力

弦楽四重奏団は、練習日一つ取ってもメンバー全員のスケジュールを合わせなくてはならないなど、調整に苦労することが多い。これに加えて、東京と京都にメンバーが分散するという大きなハンディを乗り越えて彼らが演奏活動を続けてこられた理由は何だったのだろうか。

「京都で一緒にやっていたのは、最初の7年間だけですからね。でも、久しぶりに会ってパッと合わせても、なぜか気持ちが昔に戻って、お互いが考えていることがすぐにわかってしまうんです。アマチュアは心のどこかで音楽に飢えている部分がある。口であれこれ言い合うより、座って弾いているほうがずっと心が通じ合います」(壁瀬さん)

去る6月、東京で行なわれた彼らの演奏会でも、こうした雰囲気は手に取るように伝わってきた。一人ひとりが自然体で楽器で会話し、音楽を通じたコミュニケーションを心から楽しんでいる。同じメソードで学び、同じ指導者から得た音楽的な蓄積が、血となり肉となって4人の間に親密に通い合っている。
かといって、彼らはラミー弦楽四重奏団の演奏活動に専念しているわけではない。田中夫妻は、東京では別のメンバーと室内楽を楽しみ、江村さんと壁瀬さんは、一音寺室内合奏団(編集部注)のメンバーとして、それぞれの演奏活動に余念がない。

「そこで受けたいろいろな刺激を持ち寄って4人が集まったときに、『あっ、ちょっと変わったな』『こんなところもあるんだな』と新発見があるのがいつも新鮮なんですね。そんな風にして30年間続けてきたんです」

現在ではそれぞれが忙しく、1年に1回しか練習できないこともある。年末年始に田中夫妻が京都に帰省したときが数少ない練習のチャンスだというが、せっかく集まっても「またやろう」とお互いに言ったきり、間が空いてしまうこともしばしば。
「まったく30年以上もよく続きましたな…。関西弁で言うところの『アホ』ですわ」
と壁瀬さんは謙遜するが、そんな彼らを情熱家である敬子さんの「また4人で演奏したい!」というエネルギーが支え、ともすればくじけそうになる残りの3人を鼓舞し続けてきたという。

ちなみに、メンバー全員への連絡業務やまとめは江村さんの役目。博識でどんな曲にも精通しているので、演奏会のプログラミングの際などにも大いに力を発揮する。とはいえ、曲を決めるのも合議制。誰かが「やりたい」といった曲に対して他の誰かが賛成すれば、基本的にはOKなのだが、やりたい曲がいろいろありすぎて、一つのコンサートプログラムとしてまとまるようにそぎ落としていく作業が大変なのだとか。やりたい曲と全体の組み合わせに頭を悩ませるのも、演奏会前の苦しくも楽しい作業の一つだ。


同じ時間を共有する仲間と作曲家の魂に触れる瞬間の喜び

「結局ラミーは、このメンバーだから続いてきた部分もあるんですよ。子どもの頃からみんなが知り合い同士で、今でもずっと家族ぐるみのつきあいが続いているからこそ、長く続けられた。全然関係ない人同士だったら、またちょっと違っていたかも知れませんね」(敬子さん)

コンチェルティーノ・ディ・キョウトで知り合い、ラミー弦楽四重奏団を経て結婚した田中家の子どもがまだ小さいときは、カルテットの練習中に江村家の奥さんが子守をしたこともあったとか。ちなみに、現在彼らの演奏会の映像全般を撮影しているのは新井先生の息子さんである新井順さん。彼もまた幼少時からラミーのメンバーとのつきあいが続いているという。

このように、先生と生徒とのつきあいが非常に長く続き、それぞれの家族ぐるみでいつも良好な人間関係が築かれているのも、スズキ・メソードならではの大きな特徴といえるだろう。彼らの恩師である新井先生も、順さんの映像や、京都でのコンサートを通じ、ラミーの活動にアドバイスや励ましの言葉を送っている。「プロにならずに一生音楽を楽しんでいくように」と指導した教え子たちが、言葉どおりに音楽を一生の友として楽しんでいることを新井先生自身もきっと嬉しく思っているに違いない。
「音楽でプロになれるのは、ほんの一部の人だけ。でも、音楽を趣味としてずっと続けていれば、音楽の素晴らしさや喜びは誰でも味わうことができます。私自身、演奏を続けていることで、ふっと作曲家の内面に入り込めたと感じる時が確かにあります。その瞬間がとても嬉しく、楽しいですね。先日演奏したラヴェルですが、私はフランスには行ったことがないので、もちろんバスク地方にも行ったことはありませんが、そこの土の香りが何か伝わるような気がすることがあります。

演奏していくうちに『ここでラヴェルはこんなことを考えたんじゃないか?』『ここで失恋したのでは?』『この一瞬の寂しさは何だろうか?』というさまざまな瞬間に出逢えるのが楽しいんです。それがこうやって仲間たちと演奏活動を続けていることの一番の幸せですね」(壁瀬さん)

(注)
一音寺室内合奏団 壁瀬さんが兼務住職を務める一音寺(京都市伏見区)の文化活動の一環として、壁瀬さんを団長として96年に結成された弦楽器中心のアンサンブル。京都支部の生徒を対象とした「コンチェルティーノ・ディ・キョウト」で合奏の楽しさを知ったOB、OGも数多く参加している。指揮者を置かず、コンサートマスターを中心とした質の高いアンサンブル作りには定評がある。同寺を練習場として活動し、毎年1度の演奏会を実施。05年からは管楽器が加わり、二管編成のオーケストラとして、新たな歴史のスタートを切った。


新井覚先生が語るラミー弦楽四重奏団の4人の思い出

ラミー弦楽四重奏団の4人は子どもの頃からよく知っています。信介くんは小学校1、2年から大学入学まで、敬子さんは大学卒業後もレッスンに来ていました。江村さんはちょっと晩学で、中学か高校からレッスンに来たのかな。壁瀬さんは小学校時代はヴァイオリンで、中学からチェロに変わりました。

信介くんと敬子さんは子どもの頃からとても上手でしたが、壁瀬くんは音痴でヘタクソ(笑)。彼らに限らず、当時の「コンチェルティーノ・ディ・キョウト」のメンバーはみんな仲がよくてね。長いつきあいで、今でもしょっちゅう連絡がありますよ。私は「褒めない、叱らない先生」で、生徒とはまず友だちになっていろいろアドバイスしていくようにしていました。恐い先生ではないんですが、皮肉は言います。あんまり生徒には通じてませんでしたけどね(笑)。

ここまでラミー弦楽四重奏団が長続きしたのは、4人の気が合ったことが一番でしょうが、4人ともしつこくて、簡単には辞めない性格だったのも大きいでしょうね。そろそろ楽譜を読むのに老眼鏡が必要になるかも知れないけど、できるだけ長く続けていって欲しいですね。

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