先輩こんにちは

竹澤 恭子 (機関誌152号より 2005.5.16発行)

1986年第2回インディアナポリス国際ヴァイオリン・コンクールで圧倒的な優勝を飾る。それ以来“世界のKYOKOTAKEZAWA”として国際的スターダムを昇り続けている。3歳よりヴァイオリンを始め、山村晶一、小林健次両氏に師事。6歳より才能教育研究会海外派遣団の一員として海外ツアーを行なう。桐朋女子高校音楽科在学中に第51回日本音楽コンクール第1位、併せてレウカディア賞、黒柳賞を受賞。1985年よりジュリアード音楽院に入学し、ドロシー・ディレイ、川崎雅夫両氏に師事した。日本の主要オーケストラとは、国内はもとより海外ツアーのソリストとしてたびたび抜擢されているほか、海外でも積極的に演奏を行なっている。


使用楽器は1707年製ストラディヴァリウス『ハンマー』。現在ニューヨークに在住。2005年は3月に帰国公演を終えたばかりだが、9月にも帰国し、室内楽、協奏曲、リサイタルと精力的な公演活動を行なう予定。また、「音楽の友」のWEBサイトに連載していたエッセイと大阪いずみホールの情報誌に連載していたエッセイを1冊の本として出版することも予定している

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スズキ・メソードからの贈りもの

ビデオのスイッチを入れると、おかっぱ頭の少女がブルッフの「ヴァイオリン協奏曲」第2楽章を弾き始める。その音色の美しさ、豊 かさに目と耳が離せなくなる。左手のゆっくりとした大きなヴィブラート、右手が紡ぎ出すたっぷりとしたフレーズ、そして歌心。

ひとくくりで「子ども」と言ってはならないとは思うけれど、一般に子どもは第1楽章や第3楽章の速いパッセージを持つ楽章に嬉々として取り組む。速いフィンガリング、速い弓が自分のものになった時、それは目に見える成果として達成感を与えてくれるから。しかし、一般的に2楽章のような緩徐楽章は、そうはいかない。内面的なものを表現して聴かせるには、生きて来た年数からいっても難しい。

だが、ブルッフの、歌心に溢れたこの楽章を、深く豊かに演奏しているのは、当時9歳の竹澤恭子さん。今でもスズキ・メソードの先生が「恭子ちゃんの音色は特別だった」と語り、同世代の門下生は、その名を記憶し、憧れの存在だったという。当時、この2楽章がオハコだった竹澤さんは、 「先生がこの曲はお祈りの曲だから、そういう気持ちを込めて弾きなさいとおっしゃられて、はじめはつかめなかったのですが、子どもなりに崇高な曲だということを引き出したように思いますと振り返る。この演奏で竹澤さんは、スズキ・チルドレンの一員として、ニューヨークのカーネギーホールでも大喝采を受けている。

ヴァイオリンは3歳の誕生プレゼント

竹澤さんが1/16のヴァイオリンを手にしたのは3歳の誕生日。従姉妹が弾くヴァイオリンに憧れ、おしゃもじとお箸でヴァイオリンの真似ばかりしていたのを、両親が見かねてプレゼントしてくれた。そして、従姉妹をつてに先生を捜し、スズキ・メソードの名古屋支部で教えていらした山村晶一先生に出逢う。山村先生は鈴木鎮一先生の弟子であり、その語録である「道しるべ」を読むとわかるように、生涯鈴木先生の教えを研究、努力し続けた、情熱を持った指導者だった。

10月30日に3歳の誕生日を迎えたばかりの竹澤さんが、この山村先生の下でレッスンを開始したのが11月2日。本当に3歳になりたてだった。一番小さいとはいえ、ひとたび入会すれば、お稽古の多くの部分を母親が負うのは今と変わらない。そこから竹澤家の母と子のヴァイオリンの毎日が始まった。

「母はピアノが好きな程度で、基本的なことはわからなかったと思います。ただ、母の性格もありますが、先生のおっしゃることを忠実に実行してくれました」と振り返る。実際、母、智保子さんが山村先生とやりとりしていた、3歳の1年間のレッスン記録が東海地区で独自に発行された小冊子(注)に収録されているが、あれこれ悩みながらも、親子で着実な歩みを重ねて行くのがよくわかる。
「あごが痛いからいやと言い、時には1回ヴァイオリンを持たせるだけで終わることもありました」
「何回お稽古しても自分で正しいところに指を置けず、親と子の根くらべでした」という母親の報告に、
「よくお稽古しましたね。時間はわずかでも、毎日の回数が非常に上達することになります。今日は行動によくそれを感じます」と先生は応えている。それがあれこれ迷い、悩む母親の「道しるべ」となっただろうと容易に想像できる。

当時、まだカセットテープではなく、オープンリールのテープにレッスンを録音し、それを家で再生してメモし、練習をさせたお母様。5ヵ月半かけてキラキラ星が終わる頃には、ヴァイオリンのお稽古が生活の大きな部分を占め、練習時間も延びていく。試行錯誤をくり返しながらも親子で取り組む毎日。同時に教本もどんどん進んでいった。

一番大事なこと

では、ブルッフの第2楽章に結実した、あの音色はどうして生まれたのだろう。
「大切なのは活きた音を出すこと、そして磨き続けること、それを徹底的にたたきこまれました」と竹澤さんは山村先生のレッスンを回想する。

もちろん最初は、何がいい音かわかるはずもない。ただ、偶然出たいい音を聴き逃さず「今のいい音ね」とほめられ、「そうかこの音か」と思うところから始まったという。それを毎日繰り返すことで理屈ではなく覚えていく。「今のいい音!」という先生のひと言で全然違ってきたと智保子さんはレッスン記録に驚きをもって記している。それに加え、先生が弾いてくれるのを、だんだん真似て弾くようにもなっていった。

毎回のレッスンでは、まずトナリゼーションから始め、いい音が出ているか確認するのが常だった。「今日はいい音が出ているね」というところから入って行く。それが30年近く経った今でも沁みついているほど。

「おかげで音色を聴き分けられること、楽器を徹底的に鳴らしきることが身につきましたね」
それは演奏家として活躍する現在、一番感謝していることだという。「特に弦楽器は自分で音を作っていく部分が大きいですし、こうしたいという意思があることが外国では一番重要視されます」 山村先生は熱心に音の研究をされ、常に試行錯誤しながら追求されていた。ある時は、弓の先をクリップで留めて弓に重さをかけてみたり、時には仰向けに寝て弾く、寝て足を挙げて弾くという具合だ。子ども心に「こうやって研究して行くんだ」とも思ったし、「次は何かな」と楽しみにも思ったという。

それと並行して、先生の教え通り、家庭では良質な音楽のある暮らしが実践された。まずはアイザック・スターンが弾く、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番を6ヵ月、次は同じく第3番、次はクライスラーというように。小さな恭子ちゃんの周りには、毎日毎日、いつもいい音楽が流れていた。

スズキ・チルドレンの一人として

そして習い始めて3年、6歳で全国で10人のスズキ・チルドレンに選ばれる。夏期学校での演奏を鈴木先生が覚えていてくれての抜擢だった。その時は選ばれた喜びより、両親と離れて一人で参加して外国へ行くという不安の方が大きかったという。それが何度か松本に通い、選ばれた子どもたちと練習するうちに仲良くなり、不安は楽しみに変わっていく。羽田から飛び立って、アメリカ、カナダ、ヨーロッパと40日間の旅だ。

「このツアーはすごい刺激がありました。言葉は通じないけれど、演奏するとスタンディング・オベーションで拍手をもらい、うれしくて、楽しくて。演奏の喜びを体で感じました」

それからは「次も選ばれたい」という一心で練習の目標もできた。結局、スズキ・チルドレンには連続4回選ばれ、カーネギーホールをはじめ、多くの都市の著名なホールで演奏する機会を得、大勢の聴衆の前で自分を表現する喜びに目覚めていく。

楽譜を読む

小学校高学年になり、スズキ・メソードから離れ、音楽高校受験も視野に鈴木先生の愛弟子でもあった小林健次先生に師事するようになると、スケールやエチュードが加わった。その時、初めて譜面と向かい合うことになる。スズキ・メソードではメンデルスゾーンのコンチェルトも楽譜なしに耳からだけで弾く子どもが多い。だがあるところで、どうしても譜面と向き合わなければいけない時が来る。演奏家になれば、音符を読み、その曲のイメージを自分なりにつかむことは大事なこと。曲が難しくなり、音符が増えてくると、慣れていない分、初見の速さはやはり劣っていたという。そのあたりを、竹澤さんはこう振り返る。

「私はソロの仕事が多いですから、譜読みに時間をかけられますが、オーケストラのプレーヤーなら苦労したかもしれません」。また、「奏者が自由に弾いているCDを聴いて、そのまま覚えると、実際の楽譜とかけ離れてしまうこともあるかもしれません」とも。熱心に聴けば聴くほど、聴いているその奏者のイメージをインプットするのは自然なことだ。

ただ、竹澤さんは、問題は譜を読み始めるのが「いつか」というタイミングだけだと思っている。「私は楽譜を読む前に、耳を澄ませて聴くことを鍛えられました。大きくなって、ほかのメソードで育った人たちとともに学んでみて、そういう人たちが注意深く聴いていないことに驚きました。音楽が身体の中にあって、音符を勉強する前に歌心ができていたのは幸せなことでした」

だから、楽譜を読む時期をどこにもっていくか、それが大事だと。作曲家の意思といい音楽をすることのバランスが大切という。

「世界のKYOKO TAKEZAWA」に

その後の活躍はめざましい。桐朋女子高校音楽科からジュリアード音楽院に留学し、在学中に権威ある国際コンクールで圧倒的な優勝を飾る。以後、ニューヨークを拠点に、ソリストとして世界中で活躍を続けているのはご存知の通り。いつも目標を高く持ち、ご自身の言葉を借りるなら「100%でなく120%」のパワーであらゆる機会に立ち向かっていく強い意思が、大きな財産となっているのは言うまでもない。

昨年6月、竹澤さんは女の子を出産した。リビングでお母さんが毎日練習している環境で、真矢ちゃんは自然に遊んで育っている。「真矢ちゃんが3歳になったらヴァイオリン始めるのですか?」の問いに、「こうして演奏活動をしていると、とても母のようにしてあげることはできませんが、音楽の喜びや、音楽からエネルギーをもらえることを、知ってほしいと思っています」と微笑む。智保子さんからも「私には喧しく聴こえるプロコフィエフのような曲でも、真矢は喜んで聴いているんですよ」というのを聞くと、なんだか先が楽しみになる。

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