英国王立音楽院教授で、ヴァイオリン科出身の井上祐子先生による
ヴィオラ研究会を開催しました。
12月9日(月)、大久保のクラシックスペース100には、ヴィオラを演奏されるヴァイオリン科指導者の皆さんと、聴講される他科の指導者が集まり、ヴィオラ研究会が開催されました。主催した関東地区指導者会がお招きしたのは、かつてヴァイオリンを奥村偵三郎先生に5歳から師事された井上祐子先生。現在は、ロンドン在住で、英国王立音楽院教授として演奏活動とともに後進の育成に力を注がれています。
まずは、プロフィールをご覧ください。
浜松に生まれ、三島で育つ。
5歳の時に、才能教育の故奥村偵三郎氏よりヴァイオリンの手ほどきを受け、16歳まで同氏に師事し、その後は海野義雄氏、鵞見四郎氏に、ヴィオラを藤原義章氏に師事する。1978年春に、今井信子氏の演奏するバルトークのヴィオラ協奏曲を聴き、大きな感動を受け、その秋、藤原氏の紹介で今井信子氏にヴィオラを師事するため、英国マンチェスターの北王立音楽大学(RNCM)に留学する。
RNCM在学中、第17回プダペスト国際音楽コンクールヴィオラ部門にて第1位、特別賞を受賞、その後、イギリスWorshipful Companyメダルなど、多くの由緒ある賞を得る。2年後、RNCMを栄誉賞付ディプロマを得て卒業すると同時にアムステルダムに移り、オランダ室内管弦楽団の首席ウィオラ奏者を務めるが、室内楽に没頭するため 3年後イギリスに戻り、3年間ハンソン弦楽四重奏団のヴィオラ奏者、その後ロンドン ドビュッシートリオ(フルート、ヴィオラ、ハープ)などの室内楽グループを掛け持ちながらソロ活動に励む。その他、ロンドンフィルハルモニア、アムステルダムフィル、ロンドンシンフォニエッタ、イギリス室内管弦楽団などを含む数々のオーケストラの首席ヴィオラ客演奏者としても招かれている。
2011-12に英国王立音楽院にて、ヴィオラのために書かれた20世紀初期の作品を再発表する意味も含めて「英国のヴィオラ、過去と現代」のタイトルで1年間通してのフェスティバルを企画する。
現在、英国王立音楽院(The Royal Academy of Music, London)教授。
ここからは、当日の井上祐子先生のお話を採録させていただきました。
まずは、スズキ時代のお話から
私は、奥村貞三郎先生のもとで、5歳から11年間、ヴァイオリンを学びました。明るくて楽しい時代でした。体格が大きくて、指の太い先生が、子どもの分数ヴァイオリンを借りて、生徒の間違えをもっと面白く誇張して弾かれる姿が印象に強く残っています。『こんな弾き方で、おかしくない?』と生徒の間違えをもっと面白く誇張して弾かれるわけです。私の頃は、あまり合奏がありませんでした。年に1回程度。レッスンは公開されていましたから、朝から晩まで、他の生徒のレッスンを聴いていました。それで、人前で弾く良い習慣を得ましたし、耳から聴いて、弾くというスズキ・メソードのシステムは、素晴らしいものです。「耳が肥える」というのは素晴らしいこと。一回聴くと歌うことができるのは、スズキ・メソードの大きな特色です。
それでも3年間、楽譜が読めないで弾いていたことは、後々影響がありました。それで、8歳になって、ピアノも習うようになり、ソルフェージュなどを通して楽譜も読めるようになりました。
海野義雄先生のレッスンは、当時、NHK交響楽団のコンサートマスターとして活躍されていた頃でした。母が感心していたのは、「あんな有名な先生が小娘に丁寧に教えてくださる」こと。一番厳しく言われたのは、『音程』でした。実際に使える練習の仕方、例えばリズムの取り方。リズミックに弾くにはどうしたらいいか、など実際に演奏するのに必要なことを教えていただきました。鷲見四郎先生は、すごく勉強家。ヨーロッパの最新のマスタークラスのお話を教えていただきました。
ヴィオラとの出逢い、今井信子さんへの憧れ
それで、ヴァイオリンからヴィオラに変わろうと思いました。藤原先生を通して、今井信子先生を紹介してもらいました。ぜひ習いたいと。それで、今井先生がいらしたイギリスのマンチェスターにある北王立音楽大学に留学しました。素晴らしい時間でした。2年後、帰国する予定が、ブダペストでのコンクールで優勝したので、もう少しがんばろうと思い、仕事を探したわけです。オランダのオーケストラで首席奏者として3年間、その間に出会ったイギリス人と結婚。室内楽が好きで、それも理由でイギリスに帰国。ちょうどヴィオラ奏者を探していたハンソン弦楽四重奏団に入団しました。
しかし、子どもを産みたかったのでカルテットは3年で退団し、オーケストラをいくつか掛け持ちしながらフリーランスで働いていました。2年後に子どもが生まれ、演奏会の回数も減らした頃、母校の北王立音楽大学で教えることになります。 ロンドンとマンチェスターは、東京と大阪くらいの距離です。ヒースロー空港の近くに住んでいたので、飛行機でマンチェスターに行くと、朝8時半から教えることができました。主人も同じ音楽家で、コントラバス奏者です。マンチェスターに行っているときは、子どもと過ごすようにしてくれたことは、彼にとってもよかったことです。それでも日帰りで夜9時過ぎに帰る生活を7年間やっていたら、さすがに疲れました。
ロンドンの王立音楽院に1997年に転職、それから20年以上経って現在に至っています。2019年9月で、ヨーロッパ滞在がちょうど40年になったところです。
日本とイギリスの違い
40年前、英語はまったく喋れなかったのですが、イギリス人は、いろいろ聞いてくるのです。当時、マーガレット・サッチャーが首相になる頃でしたので、「彼女のことをどう思うか」と意見を求めてくるわけです。しかも、自分と違う意見を持っていることを嬉しがる国民性です。そのあたり、日本人と大きく違います。パブリックスクールでそうした教育を受けてきますから、それが音楽にも出てくるのです。
王立音楽院とその付属のジュニアでも教えていると、その違いがよくわかります。議論をぶつけてくるので、それが面白い。16歳、17歳と対等に議論ができます。
もう一つ困ったのは、琴など日本の楽器が弾けると思われていたことです。それを「弾けない」と言うのをバカにされないように伝えることに困りました。時々思うことは向こうは「能ある鷹は爪を隠す」というのはあまりないようです。知っていることをすべて面白おかしく、上手に伝えようとします。
食べ物にも困りましたね。中華街で米を買って、自炊しました。イギリスの食事が美味しくなったのは、インターネットが浸透したことで、口コミ効果でレストランなどの評判がすぐに出るため。昔は、外食をするときは、まずいものを食べに行くのは仕方ないことという時代でしたが、今は違う。美味しいものが食べられます。
伝統的なイギリス人は、頭が切れて優しい、楽しくて面白い。人情はあるけど、あまりお節介はしない、そんな感じです。自分の主張をする時に、必ずユーモアがあります。アンサンブルの練習でもユーモアを忘れません。日本人と似ているのはダイレクトに言わないこと。自分のことを否定されても、そういうことかとユーモアがあり、納得できるわけです。
イギリスでは、アマチュアのアンサンブルが発展していて、みんなよく弾きます。好きだから、作品のことや作曲家のことなど、よく調べます。コンサートにもよく行きます。そういう人たちが、何かのパーティで出逢って、それで週末にアンサンブルをやろうよと盛り上がって、実行するのです。互いの演奏レベルが分からなくても、そうすることを楽しんでいます。日本だと準備の時間をたっぷり取ろうとするのではないでしょうか。私の娘は、ヴァイオリンを弾いていて、日本に来てアマチュアの人たちとやろうとすることが、簡単にできないようです。それを娘を通して知りました。イギリスでは簡単なのですが。
初見で映画音楽などを演奏するのがイギリス人は得意です。しかし、EUが入ってきたことで、そうした仕事は東ヨーロッパの国々の人に委ねられることが多くなりました。向こうは賃金が安いですから。イギリス人が1日でできても、東欧が1週間かかっても向こうのほうが安い。だからそのような仕事だけに頼っていた音楽家は大変だったこともあります。
今、日本でも議論好きの生徒が増えてきましたが、どうやって指導されるのかという質問をいただきました。
生徒さんが質問ができるようになるには、何か知識がないとできません。知識を持ちたいという気持ちがあるだけでもいい。曲想の持って行き方など、自分の思っているように弾けているかどうか、判断する力がないといけないので、それは指摘することが多いですね。自分の頭の中のものを弾いているかどうかを見極めるわけです。
バブルの頃は、600人の生徒の1割にあたる60人以上が日本人の生徒でした。今は、それが中国人と入れ替わっています。東洋人、特に中国人を教えていて考えさせられることはYouTubeの使用法です。楽譜を良く理解しない内に何回も同じ演奏家を聴いてしまうと、どうしてもその一人の演奏家の真似だけになってしまいます。自分では同じようにカッコイイと思って弾いていても、根本的な音楽の理解ができていなければ自分のものにならないので、カッコよくありません。YouTubeを使うのなら、良いものだけをいくつも選択して、何人もの演奏を聴き比べることを勧めます。
私もハンガリー人の巨匠が演奏するするチャイコフスキーの協奏曲ばかり聴いていて、それ以外は違うように感じていました。でもそれは良くないことで、生徒には「いろいろな演奏を聴きなさい」と指導しています。バッハなんか、マイスキーもヨーヨー・マもロマンティックに弾くし、流行もあります。20年、30年前のバッハはロマンティック的な弾き方が多かったわけですが、今はバロックに戻っています。大切なのはいろいろな演奏を聴いて、それをそれぞれ自分の中で消化してから、自分を主張をすることです。
日本人は、「やるならしっかりやりなさい」というスタイルが多いですね。イギリスでも両親が日本人のお子さんを教えることがありましたが、お母さんが熱心。本当に上達の仕方が違います。あれほど上達した子は後にも先にもないくらいに。ですから、親の熱心さというのは、大切です。親が興味を持って一緒にやっている環境がいいですね。考え方が違うというのは、あるかもしれませんが、経験から言って、親がまったく入ってこないというのは問題です。そういう親をまず教育しなければなりません。親の覚悟は、やはり必要です。音楽をやっていて、後悔する人はいません。小さい頃にしっかりやっておくと、大人になってからでも、アマチュア奏者として楽しめますから。
イギリスの音楽について
20世紀のイギリスの作曲家というと、日本人にはホルストやヴォーン・ウィリアムス、後にエルガーなどが有名ですが、他にも素晴らしい作曲家が何人も存在しました。スタンフォード、デイル、ボーエン、ブリッジ、バックスなどがそうです。しかしヨーロッパやロシアで音楽的に偉大な成長が見られているその時代に、これらのイギリス人はいまだにロマンティックな方向が強く、時代に乗り遅れたのだと思います。その後、ブリテンが出てきて「すごい」ということになりますが、なかなかイギリスの作曲家はピンとこないかもしれません。流行にこだわらなければ、イギリスの作曲家の作品は素晴らしい。ヨーク・ボーエンは20歳そこそこでも、ロンドンで毎年夏に開催されるBBCプロムスで自己のコンチェルトを2曲も発表するほどの才能の持ち主でした。
ヴィオラの発展した国は、イギリスです。20世紀になる頃に、ライオネル・ターティスがいて、彼が王立音楽院で生徒だった時に、ヴィオラを始め、独学で勉強し始めた。最初はクライスラーの作品などを自分で編曲して弾いていて、その後、音楽院の教授になる頃には自分のために書いてくれる作曲家が、生徒の中にいました。20世紀前半に活躍していたデイル、ボーエン、ブリッジ、バックスなどがそれです。それが70年代になってからやっと楽譜が発表され皆に弾かれるようになりました。だから、ターティスが存在しなかったら、これほどヴィオラの曲は誕生しなかったろうと思います。
それでは、体操しましょうか?
私の体に変調が来始めたのが25歳の時でした。ヴィオラという楽器は、よく知らないと危ない楽器です。私自身も気をつけるようにしたので、今も弾いていられます。こんな体操を一緒にやってみましょう。
・左右に体を回す。
・肩を回す、輪を描くように。
・首の運動。息を吸って、吐くと同時に右を見ます。
・右を見て、下を見ます。首筋が引っ張られるように。
・肩甲骨を伸ばす体操。
などを実践。
1日に2~3回。朝でもいいです。楽器を何時間も弾いている生活には、とてもいい体操です。
アメリカで出版されているThe Tuning C.D.というのがあります。CDはアメリカで販売しています、Amazonで聴くことができます。これでハ長調を聴かせて、一つひとつ確認させながらゆっくりやります。これに頼っていい。そのうちにこのキーの音が聴こえるんです。どうしてこれがいいかというと、フリーのものはダメです。倍音がないので響かない。Richard Schwartzという名前の方が作者です。これを使うことをお勧めします。12歳くらいからの生徒さんに使っています。弾いている曲のレベルには関係ありません。一つひとつ確認しながら毎日弾くことです。ただ音が機械的な音なので嫌いな子もいますが、そのうち慣れます。
→Amazonのサイトで視聴できます。
ヴィオラの音の作り方で、私がよく生徒に説明するのは、弓の毛と弦の交わるところの引っ掛け方が大切です。抑えるのでなく、腕の重みで弾くことでピツィカートのような音になることが大切。言うのは簡単ですが、結構難しい。7年間やっていたカルテットでよく指摘されたことは、「ヴィオラの音が聴こえない」ということでした。だからピアニシモでもしっかり音を作らないといけない。常に音を作るんです。ヴァイオリンとはそこが違う。ヴィオラはハーモニーを作る楽器でもありますので、ピアノシモだからと言って弓をあまり使わないと聴こえないし、弓をたくさん使うとガサツになります。弓は腕の重みを使って小さく、しかし音をしっかり出すことです。
昨年、指が動かなくなったんです。34年も使っていたフランス製の大きな楽器を使っていたせいです。本番中に左手の中指と薬指が動かなくなったんです。それで小さめの楽器に変えたら、ホント楽です。なぜ、あんな大きな楽器に執着していたのだろうと。サイズは大事です。
最初からヴィオラを学ぶよりも、私自身は、ヴァイオリンをまず勉強してからヴィオラに移ることに賛成します。理由は、ヴァイオリンのレパートリーがヴィオラのそれとは比べ物にならないほど多く多彩で、モーツァルトやベートーヴェンのソナタやコンチェルトなどから得られるものが、ヴィオラのレパートリーにはほとんどないからです。編曲されたものもよく自分なりに考えて弾かないと、結局オリジナルの楽器の方が良いだろうと思われてしまいます。
ベートーヴェンのコンチェルトなどはヴィオラで弾けないだろうし、弾く意味もありません。ヴィオラに移行するのはいつでもできるので、しっかりヴァイオリンを勉強して欲しい。そして、音を出すことをヴィオラでは大切にして欲しい。
ヴィオラに移るときに最初の導入で気をつけることとして、ヴィオラは、割と簡単に弾けるので、私もそうですが、離れて聴くとちゃんとは弾けていないことに気づきます。自分で録音してみるとか、本当に弾けていないことを確認することです。ヴィオラは移弦もシフティングもヴァイオリンとは違います。簡単に弾けている場合は、むしろ、ちょっと考えてみたらいいと思います。
・きよしこの夜
ヴィオラは音が出るまで時間がかかります。ベースはだからリードする感じで出るとありがたい。
・ヘンデル「オンブラマイフ」
ヴィオラで内声を担当する場合、上のポジションよりも開放弦を使うなどするほうが音がいい。ヴァイオリンの方は、どうしても上のポジションに行きがち。
・ブラームス ハンガリアンダンス
・バッハ G線上のアリア
スコアを見ているのだから、どこのパートが出たらいいかがわかるといいですね。カルテットの時は、それが問題になります。今、誰が何をしているか。
などなど。ヴィオラが下を向くようになるといけません。腰を痛めることになるし、ポジションが下がる時も上がる時もヴィオラをあげる、と指導しています。
14時からの公開レッスン
・シューベルト アルペジョーネ・ソナタ イ短調 D.821より第1楽章
谷口(やぐち)和恵先生(ヴィオラ)、桃原知子先生(ピアノ)
・シューマン おとぎの絵本 Op. 113 全4曲
星めぐみ先生(ヴィオラ)、桃原知子先生(ピアノ)
以上が、この日の内容でした。質問も活発に行なわれ、そのつど間髪をおかずに的確にお答えになられる井上先生の受け答えに、圧倒されました。次のような質問もありました。
A線とC線を合わせてから、中の2弦を合わせるようにしています。そのグループによって違いますが、D線から合わせる人もいます。
・一番好きなヴィオラ曲は?
今日の公開レッスンでの2曲はとても好きな作品です。ブルッフのロマンツァも好き。デイルや、ボーエンのソナタや小品は、作曲家がピアニストであった関係もあってピアノパートはちょっと難し目ですが、とても素晴らしく、ボーエンの協奏曲は、バルトークやウォルトンなどに限られた20世紀のヴィオラコンチェルトに堂々と加えられる大曲です。
結構、ヴィオラのいい曲はありますので、ぜひ勉強して探してみてください。日本で知られていない曲がいくつもあります。
すべてが終了してから控室で
今日は、手応えがとても感じられました。活発に質問してくださいましたので。ヴィオラを教えてこられた経験が皆さんおありなので、私自身の苦労してきた経験を話すとすぐにわかってくれるのがよかったですね。せっかくですから、今までの経験を伝えていきたいですね。
今回は短時間でしたが、音楽院で開催したヴィオラフェスティバルでは、1年間にわたって行ないました。英国で生まれた作曲家の作品を演奏するフェスティバルで、私を中心に音楽院の仲間たちと一緒にやりました。生徒がメインで弾いて、時々私が弾いたり。マスタークラスも今井先生やガース・ノックスさんに来ていただいたり。室内楽のコースの中に、ヴィオラのマスタークラスを入れたり。
短い時間の中でも変化をしてくるという意気込みも感じられました。皆さんのように、長いこと教えることをされておられると、曲への見解が固まってしまうとこともあると思います。鷲見四郎先生の、常に新しい情報を入手され、生徒に伝えるお姿は、本当に尊敬に値するものでした。弾き方には流行もあるし、変わってくるものですし、数学ではありません。ヴィオラは、ヴァイオリンやピアノと違って、あまり仲間たちと競争する気持ちが感じられない楽器です。どこに行ってもみんなで助け合ってという雰囲気もあって、学びやすいでしょう。