井上さつき先生の研究のフィールドは、まだまだ続き、広がります!

 

   マンスリースズキでもお馴染みの「日本のヴァイオリン王」(中央公論新社)の著者、井上さつき先生が30年以上にわたって奉職されていた愛知県立芸術大学を、この3月に退任。その退任記念となるレクチャーコンサート「幻のヴァイオリンを求めて〜日本のヴァイオリン王 鈴木政吉の物語」が、4月10日(日)、名古屋の宗次ホールで開催されました。
 

スライドで紹介された鈴木政吉

 この日のレクチャーコンサートは、愛知県尾張旭市にお住まいの松浦正義(ただよし)さんから愛知県立芸術大学に、8年前に寄贈された1929年製の政吉ヴァイオリンの音色を実際に生演奏で聴きながら、鈴木政吉についてのお話を伺う、という内容でした。

 1859年(安政6年)に政吉が生まれたのは、栄の名古屋東急ホテルの南あたりとのこと。「ここ宗次ホールのすぐ近くですね」。井上先生の説明に、ホール内では、ちょっとしたどよめきも。次々に映し出されるスライドとお話には、興味深いものがたくさんありました。
 
 家業の三味線づくりを継ぎながらも、長唄の稽古にも励んでいた政吉。その姿を井上先生は「政吉の音に対する鋭い感性は、こうして育まれたのです」と説明されました。後に知り合いから横浜で買ったという日本製のヴァイオリンを見せられた政吉は「ヴァイオリンを作ってみないか」と誘われます。「欲しがり手があるから、作れば売れます」「西洋では200年も前から非常に尊敬されている楽器なので、相当に売れますよ」。この言葉が決め手となったというのです。政吉のアンテナにピンときたのでしょうね。商才にも長けた政吉の、とても面白いエピソードです。
 
 2014年5月に上梓された「日本のヴァイオリン王」の中で、井上先生は鈴木政吉に魅せられるにいたる経緯を余すところなく伝えています。例えば前書きにはこんなくだりがあります。
 「では、鈴木政吉は、ヴァイオリン製作に携わった他の和楽器職人たちと何が違っていたのか、結論を先取りするようだが、それが企業家精神(アントレプレナーシップ、起業家精神とも書く)であったと私は思っている。これは、新しい事業の創業意欲に燃え、高いリスクに果敢に挑む姿勢である。幕末に生まれた貧乏な三味線職人のどこに、こんな才能がひそんでいたのか」
 
 このアントレプレナーシップを存分に備えていた鈴木政吉にとって、ヴァイオリンとの出会いは、その後の人生を一変させるほどの事件だったことがわかります。
 
 見よう見まねで第1号を作り、失敗を繰り返す中で、舶来ヴァイオリンとの一騎打ちでも惨敗した政吉は、家業の三味線づくりを廃業し、不退転の気持ちで一生の仕事としてヴァイオリンづくりに励むことを決意していきます。苦労したのは資金だったと話す井上先生。「家にあるものすべてを質屋に入れ、資金を確保し、なんとか30台のヴァイオリンを作った時に、人を雇い入れることを決断。分業により楽器の大量生産を思い至ったのです」
 
 1年後、製作に自信を深めた政吉は、上野の東京音楽学校に向かいます。井上先生は、「開通したばかりの東海道線に乗り、名古屋の停車場を朝6時に出て、新橋の停車場に夜7時半に着く汽車でした」と詳細に紹介されます。東京音楽学校で政吉のヴァイオリンを弾いたルドルフ・ディットリッヒは、「和製品としては、今日第一位である」と高評価。その後も10数回、上野に通い、ディットリッヒのアドバイスをもとに、改良を重ねていきます。そうしたエピソードは、政吉の飽くことなき本物に近づくための情熱を感じさせます。
 
 さらに政吉は、上野の後に銀座の共益商社にも訪れ、東京での販路を開拓。同社の紹介もあって、大阪の三木佐助商店(今の三木楽器)とも契約を結ぶことになります。この二社が全国の教科書販売における東西の元締めであったこともあり、二社が握る販売ルートがそのまま鈴木バイオリンの販売ルートになったとのことです。井上先生は「政吉にとっては、生産に専念できる体制となった」と紹介されました。
 
 井上先生は、ここが大切と強調されたのは、「政吉は、ヴァイオリン製作を完全に独学で始めたこと。そしてディットリッヒの有益なアドバイスをもらえる関係になったこと、さらには東京と大阪の会社を通しての全国販売ルートの確立、この3点です。そして、この後の政吉のヴァイオリンづくりは、ヤマハを創業した山葉寅楠との関係を抜きにしては語れません」ということでした。

 
 8歳年上の山葉寅楠と政吉の友情は、寅楠が亡くなるまで続きます。オルガン、ピアノ製造を寅楠が、そして弦楽器製造を政吉が担うという棲み分けも2人の間でありました。井上先生は、この2人が西洋楽器産業の育成に大きな力を尽くし、新しいビジネスモデルを構築したことを高く評価しています。事実、2人の作る楽器が国内外の博覧会に競うように出品され、事業を大きく成長させます。1910年の日英博覧会をきっかけにした海外への販路拡大では、2人とも世界戦略を描いていたというのです。アメリカから最新の機械を取り入れた寅楠の活動を見て、政吉も機械化に積極的に動きました。「それでも肝心なところは手作業が必要だ、だからこそ、ヴァイオリン製作は日本人に向いている」と政吉は看破していたとのことです。
 

スズキ・メソード出身の牧野葵さん

 ここで、登場したのが、ヴァイオリンの牧野葵さんとピアノの姫野真紀さん。政吉が1929年に製作し、
松浦正義さんから愛知県立芸術大学に寄贈されたヴァイオリンによる演奏です。曲目は、ヘンデルのヴァイオリンソナタ第4番ニ長調作品1-13。スズキ・メソードでもヴァイオリン科指導曲集第6巻で学ぶお馴染みの曲です。

12歳の牧野葵さん。この時は
モーツァルトの「ロンド」を演奏

 
 牧野さんは、スズキ・メソードの2007年テンチルドレンに選ばれ、名古屋・松本・東京のコンサートで演奏されたのを機関誌で取材したことがありましたので、こうして大きく成長された姿を嬉しく思いました。そして、政吉ヴァイオリンの音色は、以前聴いた時以上に、さらに輝きを増してきたように思われました。特に高音域の伸びやかさは出色です。
 
 ここまでが第1部。休憩をはさんで第2部が始まりました。
 日英博覧会出品のために名古屋市が作った資料「City of Nagoya」がロンドンで展示されていたそうで、井上先生が撮影されたものが紹介されました。誌面は写真による構成ではなく、日本画で表現されているところがユニーク。唯一の工業製品として紹介されているのがヴァイオリンというのも、当時の名古屋がまだ機械化が進んでいないところが窺えるのだそうです。
 
 第1次世界大戦後、訪日ラッシュが続いたハイフェッツ、ジンバリスト、クライスラーなどの楽器の調整を担当したのも、政吉だったというお話、面白いですね。
 
 そして、1920年頃より量産ヴァイオリンから高級手工ヴァイオリンへと、政吉自身は研究三昧の生活に入ります。「鈴木バイオリンのブランド力を高めたいという思いがあった」と井上先生。ヴァイオリンの腕前がプロ級と評されたアインシュタイン博士やウィーン・フィルのコンサートマスターなど、さまざまな人たちから政吉への謝辞と高い評価が続きます。

 晩年の鈴木政吉についても紹介されました。ドイツのヴァイオリンの村、マルクノイキルヘンを目指した鈴木バイオリン大府分工場での政吉を知る人として、分工場の立松工場長のお嬢さんである福島淑子さんが記憶されている政吉さんのお話が紹介されました。
 「政吉様のお住まいは、工場から少し離れた、木々に囲まれた小高い静かな場所にありました。夏でも、白い着物をお召しになられて、座布団に正座され、でき上がった白木のヴァイオリンを中指を丸くされ、コンコンと表板、裏板をたたかれ、製造中のヴァイオリンの響きをお調べれなられていました」
 研究熱心な政吉翁の姿が、目に浮かぶようです。
 
 ここで第2部の演奏となりました。曲目は、
・山田耕筰:からたちの花 
・ドヴォルザーク/クライスラー 編曲:ユーモレスク
・クライスラー :ウィーン奇想曲Op.2
・サラサーテ:サパテアードOp.23-2
 
 情感たっぷりな曲にも、超絶技巧曲にも、この政吉ヴァイオリンはしっかり応えていたことに驚かされます。「サパテアード」で多用されるハーモニクスもきれいに響いていました。
 
  政吉ヴァイオリンを弾かれた牧野葵さんの感想です。

 この2月、愛知県芸術大学での最終講義の時に、ヘンデルのソナタを弾かせていただきました。その時以来、3ヵ月弱のおつきあいになります。通常は年単位でのお付き合いが楽器の場合、多いわけです。また、楽器が変わることで、左手の押さえ方の変化や駒の高さの違いに応じた演奏法などいろいろと対応が必要です。このような貴重な機会をいただけましたこと、ありがとうございました。とても良い楽器だと思いました。この楽器のまろやかで温かい音色を、私はとても気に入っています。
 
 
 最後に、アンコール演奏がありました。
・武満徹:小さな空
 可愛らしい曲でした。
 

 最後に井上先生からのメッセージです。
 鈴木政吉は、工場経営者であると同時に、音に対して並外れた感性を持ち合わせた楽器職人でした。その政吉の思いを彼の製作した楽器を通して、今日、改めて受け止めることができたと感じました。私は、今、鈴木政吉の研究に付随して、日本のピアノ製造の歴史に研究範囲を広げています。そして、改めて、鈴木政吉と山葉寅楠が日本の楽器製造業の礎を気づいたことを実感しています。これからもこうした研究活動を続けてまいります。


井上さつき先生の活動を紹介したマンスリースズキの過去の記事は、下記でご覧いただけます。
 

『幻の政吉ヴァイオリンでたどる名古屋の知られざる音楽史第3回
鈴木政吉と鈴木鎮一〜親子の絆』が、2016年5月18日(水)宗次ホール(名古屋)で開催

→2016年5月号の記事
 

レクチャーコンサート「鈴木政吉と大府」を大府市が主催

→2018年2月号の記事
 

「鈴木政吉と鈴木鎮一〜親子の絆」〜2020年2月1日(土)おおぶ文化交流の杜こもれびホール

→2019年12月号の記事
→2020年2月号の記事
 

井上さつき先生の最終講義にオンラインで参加

→2022年2月号の記事