鈴木鎮一に対する多彩な視点で、
興味深い内容を発表された東京藝術大学でのシンポジウム
「近代メディアは、音楽文化に何をもたらしたのか」というキャッチコピーで、10月21日(土)に東京藝術大学音楽学部第6ホールで開催されたシンポジウム「鈴木鎮一と音楽の近代」。当日は、100名を越す聴衆が訪れ、その多様な視点の数々に触れることができました。その中には、早野龍五会長をはじめ、10数名のスズキ・メソードの指導者たちに加え、オーストラリアへ帰国直前、時間の許す限り駆けつけた指導者ご夫妻もいらっしゃいました。
その内容は、日本学術振興会科学研究費補助金を受け、「20世紀前半のヴァイオリン演奏様式の包括的研究」と題された研究プロジェクトで、東京藝術大学音楽学部楽理科の大角 欣矢教授を中心とした皆さんによるもので、この日はその成果発表の場でした。東京藝術大学が多数の歴史的音源を擁する東京藝術大学付属図書館のSPレコード集成「野澤コレクション」を活用し、鈴木鎮一先生や関連する奏者たちの音源を用いた分析を通じてのさまざまな視点からのシンポジウムで、いずれも大変興味深い内容でした。
そもそも野澤コレクションとは、2013年に世界的なSPレコード研究家、クリストファ・N・野澤氏(1924-2013)が半世紀以上にわたって収集したクラシック音楽のSPレコード2万枚以上と、愛用の蓄音機が東京藝術大学附属図書館に寄贈されたことに端を発しています。このコレクションは国内最大規模で、歴史的な音源も数多く含まれたものでした。近い将来、このコレクションのリストはWebサイトに一般公開されることになっているそうですから、それも楽しみです。
注目されたのは、レコードとの密接な関係です。鈴木鎮一の父、政吉がヴァイオリン工場を経営していた環境の中、17歳の鈴木がミッシャ・エルマンの奏でる「アヴェ・マリア」をレコードを通して聴き、ヴァイオリンの音の美しさに酔いしれたことです。大角先生は1枚のレコードがその人の人生を変えるまでの影響力があったことに触れておられました。そして、ベルリンでカール・クリングラーに師事し、高い精神性と音楽性を学んだ鈴木は、当時のベルリンで、コンサートに足繁く通い、さらには当時、市場を席巻しつつあったレコードをたくさん鑑賞したのではないかと指摘。8年間の留学を終えて帰国後、後のスズキ・メソードの基盤となる科学的奏法の研究をスタートした鈴木が多くのヴァイオリニストたちの演奏に耳を傾け、つまりレコードに耳を傾けることで、逆算して奏法や音の美しさに結びつける結果となったことも、
レコードとの強い関連であると紹介されました。
また、ベルリンでなぜフランクのヴァイオリンソナタを日本人の鈴木鎮一が録音に至ったのかにも考察されていました。ドイツグラモフォンから4枚組8面のレコードとして発売は異例中の異例。しかも、日本人が海外でヴァイオリンソナタの録音をしたのは、鈴木鎮一が初めてだったという事実。ただ、大角先生によれば、なぜフランクを選曲したのか、録音の月日など詳しいことはグラモフォン本社にも残されていないとのことです。しかし、紹介される資料は、考古学者か探偵でないかと錯覚するほど、豊富な資料ばかり。終演後、その辺りを尋ねると「資料を探索し、それらを結びつけ、考察することが私たちの仕事なんです」と笑っておっしゃっていたのが印象的でした。
各研究者の発表は、どれもユニークで、新鮮でした。特に、ソニックビジュアライザーを使って、鈴木クワルテットと当時活躍したヨアヒム四重奏団、クリングラー四重奏団、フロンザレイ四重奏団、レナー四重奏団、アマール四重奏団などのモーツァルトの弦楽四重奏曲第15番K.421のメヌエット(ヴァイオリン科指導曲集第7巻の最初の曲)の音源について、その演奏の違いを可視化した太田峰夫先生の研究は、それぞれのカルテットの第1ヴァイオリンを基準に計測されたもの。また、鈴木鎮一とティボー、クリングラーの演奏を通して、テンポの分析・比較、ポルタメントの箇所の抽出、その結果によるフィンガリング・ボウイングの考察、そしてヴィブラートの分析をされた甲斐朝花さんの研究は、ご自身がヴァイオリンを学んでこられたことと相まって、まるで芸術と科学捜査がコラボしたかのような調査プロセスを経た演奏分析で、とても興味深い内容でした。
この日のプログラムです。
13:00〜13:25
I. イントロダクションと問題提起
「レコードを通じて師事する」──近代メディアの出現と新しい演奏家形成のかたち
大角 欣矢(東京藝術大学音楽学部 教授)
13:25〜14:40
II. 録音音源研究〜演奏家としての鈴木鎮一を巡って
音楽研究における情報機器の使用について──音高分析を中心に
丸井 淳史(東京藝術大学音楽学部 教授)
鈴木クワルテットとヨアヒム四重奏団の伝統
──モーツァルト:弦楽四重奏曲第15番ニ短調K421よりメヌエット楽章の演奏録音を中心に
太田 峰夫(京都市立芸術大学音楽学部 教授)
ソニック・ヴィジュアライザーによる演奏分析
──鈴木鎮一、ジャック・ティボー、カール・クリングラーの比較
甲斐 朝花(東京大学大学院総合文化研究科博士課程)
14:50〜16:05
III. 音楽文化史研究──鈴木鎮一とその時代
鈴木鎮一と父・政吉(鈴木バイオリン製造創業者)──近代日本のヴァイオリン受容
井上 さつき(愛知県立芸術大学 名誉教授)
少国民と総動員法──鈴木鎮一の「才能教育」をめぐって
片山 杜秀(慶應義塾大学法学部 教授)
昭和戦前期のメディア空間と鈴木鎮一
渡辺 裕(東京大学 名誉教授)
16:05〜17:00
Ⅳ.ディスカッションタイム(会場からの質問に答えるスタイル)
様々な質問が寄せられた中で、マンスリースズキ編集部からも質問をしました。それは「お互いの研究発表をどのように聞かれましたか?」というもの。それに対して丸井先生からお応えいただきました。
「今日、先生方のお話を伺っていて学生時代の恩師に言われた言葉を思い出しました。コンピュータの研究をする大学でしたが、その先生はいずれコンピュータというのは文房具のようなものなので、鉛筆の研究と変わらなくなっていくと。鉛筆をいつまでも研究し続けたいのかお前は? それよりも鉛筆を使って何をするかの方が大事だろう!と。90年代ですから、だいぶ前に言わたことです。先ほどの可視化ソフトウェアは多分鉛筆なんです。それで、この鉛筆を使って、このような素晴らしい研究をされておられる方が、きっと有効に使ってくれるだろうなと、そういったことをちょっと思いました」
確かに残された音源から当時の演奏分析を試みること自体、感覚的なものを具象化することになるわけです。演奏家の思いや勉強のプロセス、そして演奏の独自性の開花など、様々な事柄に最先端の文房具はイメージを広げ、解析してくれる。すごい時代になったものだと思います。
17:00〜18:00
IV. SPレコード・コンサート
そして、最後のセッションとなるレコードコンサートでは、野澤コレクションから、鈴木鎮一に関係するSPレコードの音源を東京藝術大学附属図書館蔵蓄音機「ビクトローラ・クレデンザ」を使い、鑑賞しました。SPレコードならではの、温もりのあるサウンド体感は、とても新鮮でした。
プログラムにあるように、エルマンの「アヴェ・マリア」をはじめ、今回の研究対象になったフランクのヴァイオリン・ソナタ第1楽章と第4楽章を鈴木鎮一とティボーの演奏で比較したり、珍しいモギレフスキーの演奏する小品や江藤俊哉の圧倒的な演奏も。さらには豊田耕兒演奏の「ベートーヴェンのメヌエット」「むきゅうどう」などの教材としての音源も紹介。1曲かけるたびに、ゼンマイを巻き、針を交換しながらのコンサートでしたが、そのサウンドがどれも素敵で、名手たちの演奏を堪能することができました。
盛りだくさんなセッションで、とても中身の濃い5時間でした。一番に思ったのは、幼児教育の分野は別として、音楽の分野でアカデミズムが鈴木鎮一を取り上げることがほとんどなかったこれまでとは、隔世の感があったことです。クラシック音楽の世界で、日本のトップクラスにある東京藝術大学で、このようなプロジェクトが進行されていることに、125歳を迎えたばかりの鈴木鎮一がどう思われたか、密かに聞いてみたいところです。