早野龍五会長と保護者の第4回ネット交流会
〜チェリストの宮田大さんとお父様の宮田豊先生をお招きして
2月26日(月)11時〜12時に開催された第4回ネット交流会の様子を、速報でお届けします。
みなさん、おはようございます。1月の新年研究会では、久々にお会いする先生方がたくさんいらして、同年代ではありませんが、同級生に会うような親近感を持ちました。やっぱり、「スズキは私が育ったところなんだなぁ」と再認識した次第です。今回は、父、宮田豊との親子対談ということで、ちょっと恥ずかしいところもありますが、どうぞよろしくお願いします。
大さん 最初に楽器を始めたのは2歳の頃で、その時の楽器はヴァイオリンでした。私は母に最初ヴァイオリンを習っていたんですけども、落ち着きのない子で、歩き回っちゃう子だったらしいです(笑)。なので「あなたは座って練習しなさい」ということで、チェロに変わったということですが…。
豊先生 活発な部類でした(笑)。母親と父親でなすりつけあいと言いますか、僕が負けたようなところがあったかもしれません(笑)。自分の子どもに同じ楽器を教えるのは一番難しいことです。普通のお子さんたちに教えるのとはちょっと別の感覚でした。
大さん 母からは、自分のヴァイオリンとは違う楽器を教えることになるので、「逆に教えやすかった」と聞いたことがあります。私の場合は、同性で同じ楽器同士というのが良かったのかもしれません。チェロをずっと続けてみると、チェロの音域が自分の中で心地よく自然にあります。
豊先生 カルテットやオーケストラでも、低弦として支えてゆくという役割がありますね、チェロには。
自分の中の個性を磨く
大さん カルテットの話で思い出しましたが、スイスのジュネーブ音楽院に室内楽(カルテット)で留学し、続いてドイツのクロンベルク・アカデミーでソロを学びましたが、父もボリビアで教育活動をしていたこともあるので、その辺りの話もできますね。
ジュネーブ音楽院には、父が言ったようにカルテットを支える勉強をしようと思って留学しましたが、一般的に日本人が留学する場合、何か違った個性や新しいものを見つけにいこうとする傾向があります。でもその時に教わったタカーチ弦楽四重奏団のファースト・ヴァイオリンの方から、「見つける前にちゃんと自分自身の中に個性というものがあるから、それを磨くというか、探し出す留学の仕方をしなさい」と言われたことがありました。それを聞いて、自分の中にもすでに個性はあるんだなぁと思い、自信につながった思い出があります。
父も母とボリビアに行った当時は、多分、相当に苦労したと思うけど、あまりボリビア時代の話を聞いていません。大変だったのでは?
豊先生 大学を卒業して、国際協力事業団(JICA)の派遣でチェロの専門家として派遣された形になります。本来はボリビアの大使からの要請で「ボリビアのいろいろな音楽に携わって欲しい」ということでしたが、あの国は政権交代が激しくて、大使にもその権限がなくなってしまったので、日本国から派遣された形になったわけです。
結局、ボリビアを起点に南米を全部回りました。言語も文化も環境も違いますから、カルチャーショックを受けることも多々ありました。その中で揉まれることで、人間形成には良かったかもしれません。本当に大変な思いをしながら、音楽を通じて、ハイレベルの交流をするわけです。オーケストラのトップ奏者として全体を率いたり、オペラにも出演したり。多種多様な演奏を要求されましたから、いろいろな考え方、演奏の仕方を学びましたね。
本来は、ヨーロッパに留学するのが常道だと思いますが、僕は南米に行ったことで、自分の人生には良かったような気がしています。
大さん そういう父と母からのいろいろな経験が、多分私に全部流れてきて、伝授されたんですね。私が生まれて、子どもたちに教える実験台のように私は多分なったのではないかなと。どう言ったらどういう反応があるか、どういうふうな教え方をしたらいいか。でも実際、母や父のレッスン見ていると、母の細やかで丁寧に一つひとつ教えていく方法と、父の情熱的にとにかく大きく歌いなさいっていう歌い方の教え方とか、そういう教え方は、今、プライベートで生徒さんたちに教えていると、確実に受け継がれているなと感じています。
それがいいか悪いか、それは聴衆の皆さんが判断するわけですけれど、彼の中では成長ではないかなと僕は思います。「どうだった?」と毎回本人から聞かれますので、父親として毎回アドバイスはしますが、聴衆の一人として、変化してゆく彼の姿に興味を持って、演奏会に行っていますね。
一期一会で臨む音楽
大さん 留学の時に、新しいものを発見するのではなく、自分の中のものを見つめ直す、磨き直すことが、自分の中に自信が生まれ、結果的に一期一会の演奏ができるようになったことが、毎回の変化につながっているのでしょうね。クロンベルク・アカデミーのフランス・メルヘルソン先生は、たとえば4分音符一つを取っても、それがPAなのか、YAなのか、WAなのか。言葉に置き換えた時に音符の解釈がまったく違ってくると言われました。なので、先生のレッスンではよく歌わされました。「いろいろな言葉を持ちなさい」と。それが、音の種類というか、ボキャブラリーを多く持てることにつながりました。日本人は言葉数が少ないですよね。海外の言葉だといろいろなイントネーションがありますが、日本人は少しそこがちょっと欠けていることもあるので、そこを磨いていくのは自分の中でも大変なことでした。それが一つひとつできてくると何か宝物になって、今日はどういうふうな音を出していこうかなと、お客様に一つひとつプレゼントしていくような気持ちになれたのかなと思います。
豊先生 一つのエピソードですが、チャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲」を大が演奏した時に、楽屋に行って「良かったよ」と言ったら、「次にもう一度あるので、違う弾き方をしてみる」というのです。普通は同じ演奏で同じようなシチュエーションを作らないといけないというのが大体の演奏家のスタイルですよね。逸脱することは、なしにしないとオーケストラもついて来ません。その意味では難しい問題だったはずですが、実際に私のためにその日の「ロココ風」は演奏のアプローチを変えて来ましたね。聴衆の様子、会場の大小など、演奏家はいろいろなバリエーションをいつも持っていないと、停滞したような演奏になってしまうことがありますから、あの時の演奏ではそのことが感じられて、とても新鮮でした。
大さん たくさん演奏の機会をいただくと、緊張をどう解いていくかというのが課題になります。そのために、演奏中にいろいろなボキャブラリーを出すことを心がけていますね。それによって、演奏中のチェック項目を作らなくてよくなります。あそこのポジションはどうしようかなというようなチェック項目が増えると、ストレスの方が多くなります。その意味では、そのときの音楽を演奏することは、無責任に聞こえながらも、逆にそれが責任を持って演奏することにつながると思っています。今、感じたことを音にして聴いていただくことが、私の個性も出るし、緊張もしなくてすみます。
先ほど、早野会長から小澤征爾さんとのエピソードを、とのことで思い出すのは、桐朋学園の創立50周年の時に、ハイドンのチェロ協奏曲第1番の第2楽章と第3楽章をサントリーホールで演奏したことがありました。さらに、その10年後の25歳の時に、水戸室内管弦楽団さんと同じハイドンの全曲を弾いたことがありました。その時の演奏が、小澤さんが残念ながら亡くなられた時にNHKのFMで流れたのですが、怖くて聴けませんでした。サントリーホールでの最初の小澤さんとの出会いは15歳くらいでしたからとても緊張していましたが、小澤さんからかけていただいた言葉は、今も忘れません。「どれだけ速くなってもどれだけ動いても、私がつけてあげるからね。どんな音楽でも私がちゃんとリードしてあげるから」と。やっぱり一期一会で演奏することが大切なのだと、最初に気づいたのはその時でした。
豊先生 いろいろな経験が蓄積されることが必要ですね。小澤先生に教わったことが10年後に花が咲いた時、小澤先生はすごく喜ばれたと思いますね。
もう一つ、昔話ですが、大が小学6年生の時に、いろいろなところで演奏する機会を与えたかったので、アメリカの演奏旅行に連れて行ったことがありました。大は、ドヴォルザークのチェロ協奏曲を弾いたのですが、本当は他の生徒たちと遊びたいわけです。こちらも生徒たちの演奏をなんとかまとめないといけませんし、パニックになっていたところもありました。それで、わーっと大にあれこれ注意しました。大からは「お父さんは先生だけど、僕にとっては先生である前にお父さんなんだ」と泣いて反論されました。こちらが相当につらくあたっていて、彼はいろいろ我慢してきたのかなと思いましたね。いろいろな生徒の中の自分の子どもですから、生徒と同じように扱っていますし、格差をしないことを念頭にしていくと、逆に、つらく当たっていることがあったのかなと、その時に思いましたね。
大さん いろいろな感情の蓄積があったのだと思います、その時。両親はどちらも感情的なタイプですので、私もどちらかというと感情派で演奏しています。自分が教える時にも思いますが、「ここは遠くに行くような感じで」といった感情的なアプローチだと、うまくイメージが共有できたりします。たとえば悲しい感情で弾く時に「悲しくて泣いているのか、誰かに励まされて泣いているのか」、いろいろな過程があり、アプローチがまったく変わります。アメリカに行った時や留学した時に言葉が通じないなどいろいろあって、その時の感情が蓄積されて、今の音楽になっていると思いますね。
豊先生 昔の話ばかりしていて、今の生徒さんたちに役立つかわかりませんが、育てることに関しては、それなりに苦労したかなというのが率直な私の意見です。大はどうだったのかな?
大さんから教わること
大さん プライベートで教えていますが、先生のところに行けばうまくなるとか、先生に合えば上手になると思う方が結構多いです(笑)。私の場合は、それは許しません(笑)。今日はどういうことを学びたいのか、今どんなことを考えて演奏していたのか、など全部言葉にさせることをしています。そうすることで、自分の中にどのような考え方があるか、一つひとつ積み重ねてゆかれます。やっぱり音楽をやることは楽器を弾くのと、自分の言葉で音楽を、自分の音で感情を伝えることの素晴らしさがあると思います。あの「キラキラ星」の出だしでも、楽しそうに速く弾いたり、悲しそうに下を向いて弾いたり、自分の出ている音と自分の感情が一致しているのかを再認識させることもすごく重要かなと思います。私の両親は、どう弾きたいのか、どういう感情で弾いていたのか、を結構言うタイプでした。ですからテクニック的な練習よりも、音楽的なことを言われた思い出がありますね。フルサイズのチェロになると奏法も変わってくることがチェロの場合はありますので、倉田澄子先生に教わった時には、どしんと構えて地球の引力に逆らわないで弾く奏法などいろいろとありました。スズキ・メソードで教えていて、身体つきが変わってくることで教えていくのは難しいのではないかと思います。
豊先生 大の場合は、身体もでき上がった生徒さんに教えることが多いと思いますが、私の場合は、3歳くらいの子どもさんたちからを相手にします。毎年、「宮大学」を1日開講していますが、その中で、曲のイメージの作り方、表現の仕方とか音色のこと大から教わって、私なりに咀嚼してそのまま教えるのではなくて、違うスタイルでね、教えていくといます。やはり音楽は自分の心に秘めたものを表現できるもので、そこが基本であることを考えると、やはり幼少の時期から、アプローチをかけなければいけないと思いますね。小さい時期だと、そういうところを度外視して、技術的なものが先行することも多いですね。そういう意味では、彼にいろいろ教わっています。
大さん 学校教育ではピアノは小さく、フォルテは大きくと習うわけですが、それだけではない難しいところがあります。奏者としては、ピアノの中でも爆発しそうなエネルギーを持っているピアノなのか、フォルテだけど内に秘めているようなフォルテなのかで、全然音楽の解釈も違ってきます。何かそういったところもあまり言葉で伝えてしまうと、どうかなと。言葉で伝えないとわからない子もいます。例えばここはミステリアスな感じで弾くよとか、ここは小さく弾かなきゃいけないよと言葉で伝えすぎてしまうと、その子にとってはその曲の音楽は、そこで止まってしまいがちなんですよね。言葉の力は強いです。スズキ・メソードの先生方は、音で表すことで生徒さんにアプローチをされていると思いますので、やはり先生の音を聴かせることは、子どもたちにとって、とても大切ですね。私も心がけている部分です。
質問タイム
早野会長 ありがとうございました。では、この辺りで、保護者の皆さんから寄せられた質問なども交えながら少し話をまとめていきたいと思います。
まず、一つ目です。「クラシックTV見ました」というメッセージがありまして、それをきっかけにファンになった3歳の娘さんがおられる方から、まずはお父様に「子育てをするときに、奥様とお二人でこれだけは守ろうと決めていたようなことはありますか」という質問です。
豊先生 鈴木鎮一先生の「いいものを聴かせて育てましょう」はきちんと守っていましたね。それといろいろなアプローチをし、一緒に楽しくやっていくことを実践していました。家にいるより野外に出ていることの方が多く、自然の中でいろいろな経験をさせたことも基本でした。
大さん 小さい頃の写真を見ると、「今日はコンサートだね」とか「野外コンサートをしよう」とか、いろいろ工夫していたようです。あとは音遊び。それに一番良かったのは、毎週水曜日に水泳教室に行って帰ってくると、父が2階でチェロを教えていたのですが、夕食を食べ終えた頃、呼び鈴がピッとなって2階に上がると、大人の生徒さんたちがたくさんいて、一緒に演奏に加わっていました。みんなで演奏する楽しさがありましたね。
早野会長 次は「子どもの頃、心を強く動かされたエピソードを一つ挙げるとすると何でしょうか」という質問です。
大さん 子どもの頃は、チェロを習っていることは、学校の友だちにしゃべることがなかったのですが、たまたまチェロを練習している時に友だちが来た時に、びっくりされて、ちょっと弾いたりするとすごく喜ばれました。みんなと違う習い事でしたし、自分の自己表現ができる環境においてくれたことは、やはり嬉しかったですね。
早野会長 次の質問です。「レッスンを始めて3年半の8歳児です。元気な時は楽しくチェロを弾いていますが、モチベーションに波があります。どうしたらいいでしょう」と。
大さん 私は、割とコンスタントに練習はしていました。学校ではテレビ番組の「ドラゴンクエスト」や「エヴァンゲリオン」が話題になりますが、両親はそういう番組をちゃんと見せてくれていました。見るものはちゃんと見て、その後に毎日歯を磨くじゃないですけども、「ちょっとでもいいからチェロに触りなさい」と。「ご近所さんに申し訳ない」といつもうどんとかお蕎麦を配って、「夜遅くごめんなさい」と伝えていたような記憶もあります(笑)。何かちょっとでも音を出させるテンションを続けさせるのは大変だったろうと思います。
豊先生 モチベーションが上がったり下がったりは、人間ですから仕方ないことですよね。だから歯を磨くような習慣をね、環境を作っていくことがすごく大切で、それが当たり前のように、大にとってはチェロを弾くことが普通のことで、レッスンも他の先生の生徒さんたちのレッスンを見学したり、一緒に弾いたりなんかしているから、それが生活の一部になっていましたね。
早野会長 大さんは、高校から東京に通うことになりますが、おうちでのレッスンと高校に通うようになってからのレッスンと、何か大きく変わったことはありますか。
大さん そうですね、中学1年、2年のころはバレーボールに夢中になりながらも、父にチェロを習っていて、同時進行で、桐朋の倉田澄子先生に習うようになります。倉田先生は「お父さんから歌心をしっかり学んできたわね」と言われましたし、「音楽を楽しむ姿は両親が素晴らしかったから」とも言われました。高校から身体つきもだんだん変わってくる時で、腕力がだんだんついてきて、力でどうしても音を押し付けてしまうことになりますが、音楽と自分がやっぱり交わるために、力の抜き方が一番必要だったのです。そのやり方を倉田先生に習って、思春期の頃に、基礎をしっかりと習ったことで、留学先では「一期一会の音楽をどういうふうにあなたの思ったことが音に出ているかを確認するぐらいだ」ふうに言ってくださったんです
早野会長 次の質問です。「4歳のチェロの生徒さんレッスンを始めて1年、CDを日々聴いていると、今習っている曲よりも先の曲を弾きたがります。自己流で弾いて変な癖がつかないかどうか、それについてどう対応したらいいか」というご相談です。
大さん その生徒さんの気持ち、わかりますね。なんの曲を弾きたいかというのは、モチベーションになります。うちの両親は、弾きたい曲を結構弾かせてくれました。それに、家にはたくさんのCDがあって、カバレフスキーのチェロ協奏曲第1番を知っている小学生は多分あまりいないと思います(笑)が、とてもかっこいい曲です。それを中学時代に倉田先生にお願いしたら、「あなたにはまだ早い」と言われました。やっと弾くことができたのは、出光音楽賞をいただいた受賞者コンサートの時でした。ようやく弾くことができた時は、大きな楽しさになりますが、我慢させることとのバランスは、本当に難しいなと思います。
早野会長 次は、中学2年でピアノを学んでいる生徒さんです。「部活のキャプテン、勉強とピアノとの両立、塾友だちとの交流、春からは受験生とピアノに向き合う時間が少なくなるため、親御さんから声をかけるのも辛い状況」とのことです。どんなふうに声をかけたらよろしいでしょうか。
豊先生 僕のスタイルは、中学に上がる前が大切だと思っています。中学は多感な時なので、 多感なものを一つにまとめてしまうと、やはり萎縮してしまうようなこともあると思います。大の場合も、部活があるので、毎日1時間弱のお稽古時間だったと思います。内容を密にすることで時間は減らしてもいいですね。時間を凝縮したやり方でやることで、20分でも30分でもお稽古をすればいいかなと、僕は思います。
早野会長 ありがとうございます。残り時間が少なくなりました。時間内に伺う最後の質問です。「大さんにとって、会ってみたい歴史上の音楽家はどなたですか」という質問です。
大さん ロストロポーヴィチ国際コンクールを受賞していますが、演奏家ではロストロポーヴィチさんにはお会いしたことがありませんから、お会いしたかったですね。お会いして良かったのは、やはり小澤征爾さんです。そして今、日本人の作曲家の方々が私のために新曲を書いてくださったり、初演の機会もたくさんあり、密にコンタクトを取りながら音楽を作り上げていく楽しさをすごく感じているところです。一方で、ベートーヴェンにも会いたいですね。自分の演奏を聴いていただき、答え合わせじゃないですが、「これもいいんじゃない?」という言葉をもらってみたいと思いますね(笑)。
早野会長 なるほど、どうもありがとうございました。他の質問は、このページの最後で別途お答えすることにします。個人的なことですが、この20年間、毎月ジュネーブにある研究所に通う生活をしていましたので、大さんがおられたジュネーブの街は、僕にとっては非常になじみのある懐かしさを感じる街でもあります。そんなことを思い出しながら、今日はお二人のお話を楽しく伺うことができました。そして、今回のネット交流会、こんなに大勢集まっていただいたのは、初めてでしたね。ありがとうございました。
(編集部註:120名を越す皆様にオンライン参加いただきました)
ネット交流会は、これまで3回開催してきました。
→第1回ネット交流会の様子
→第2回ネット交流会の様子
→第3回ネット交流会の様子
第4回ネット交流会の時間の関係で取り上げられなかった質問に、以下、まとめてお答えします。回答は、ネット交流会を企画する広報委員会保護者チームによるものです。
【質問 1 】
3歳10ヵ月の子どもです。ヴァイオリンのレッスンを始めて7ヵ月です。毎日家で練習しようと言っても、すぐに遊び始めたり、ぐずったりしてしまいます。そのため1週間ほぼ練習できずに次のレッスンということもしばしばです。教室に行くと上手に弾けるので、緊張感があれば良いかもしれません。自宅で母親相手の練習の際にきちんと集中してくれるコツがあれば、ぜひ教えてください。
保護者交流会当日の宮田豊先生と大氏のお話の中にもありましたが、以下に尽きるのではと思います。
*毎日の練習を「歯磨きをするように」毎日の日課の中に組み込む。
*ほんの少しの時間でも良いので必ず毎日楽器を持つ習慣をつける。 習慣をつけるのは最初は大変かもしれませんが、一度ついてしまえば、それを継続することはそれほど大変なことではないと思います。
【質問 4 】
中学2年生女子の親です。部活のキャプテンを務め、ピアノとの両立に、塾、友だちとの交流も加わり、日々忙しくしています。春から受験生になるので、ピアノを休会できるのかと考えています。ピアノに向かう時間も少なくなり、反抗も強くこちらから声を掛けることも辛い日々です。この時期どんなふうにレッスンされているのかお聞きしたいと思います。
*お教室の先生とよく相談をされて、週に 1 度のレッスン日で弾くだけになるかも しれませんが続けることをお勧めします。日々学業、部活、塾と大変な生活だと思いますが褒めて(はげまして)あげてください。
お母様からの「がんばってるね!」の一言は貴重だと思います。
【質問 5】
うちは子どもが3人いるのですが、まだ3人とも手がかかり、「私が練習しましょう!」と言わないと練習しません。一人ひとり順番にピアノまで連れて行き、一緒に練習します。まだ小さいので、気分にムラが多く、3人が集中して短時間で練習を終われることはなかなかありません。上の子が一人だけで習っていた時は、一人だけなので、集中してじっくり練習も一緒に見て、気分が乗らなければ、待って、また再開とできましたが、3人ともなると、一人にかける時間も私の集中もなかなか持ちません。おうちのお稽古がとても大切なのはわかっているので、3人させることが中途半端になっている気がしています。楽しみながらさせたいのですが、私もつい叱ってしまいます。試行錯誤の毎日です。子どもと楽しく練習をする時に、親が一番心がけたら良いこと、また、親がどのように接すると子どもは楽しくできるのか、教えていただきたいです。
*小さなお子さんには、叱りたいときは笑ってください。
※質問 1 への回答は、すべての生徒さんに当てはまります。