10月26日(日)に初台のオペラシティで開催された第94回日本音楽コンクール。そのヴァイオリン部門で第1位と聴衆賞を受賞したのは、スズキ・メソードの山澤敦子先生クラス出身の中谷哲太朗さん(16歳)でした。主催する毎日新聞社のサイトで、記事と写真をご覧ください。
 
 →毎日新聞の記事
 →毎日新聞の写真記事
 
  中谷さんによりますと、ご覧のような曲を第1予選、第2予選、第3予選、本選で演奏されてきたそうです。中谷さんは、プロフィールに記されている以外にも、さまざまなコンクールにこれまで挑戦されてきました。中学1年当時の全日本弦楽コンクール中学生部門でも第1位に。その時のインタビューでは、将来の夢や家族についても語っています。

 →全日本弦楽コンクールでのインタビュー記事


早速、ご本人から喜びの声が届きました。

ヴァイオリンを弾いていると、なにか心の奥が動くのです。

中谷哲太朗
 

2歳の誕生日前の哲太朗さん

 僕のヴァイオリンの最初の先生は山澤敦子先生です。僕には3歳上の姉がいて、姉がヴァイオリンを習うことになり、生まれてすぐに山澤先生の教室に通っていました。最初の記憶は発表会ですが、「キラキラ星変奏曲」、そしてリュリの「ガヴォット」、次に「ラ・フォリア」を弾きました。「ラ・フォリア」は特に好きだった曲で、終わった後、とても気持ちがよかったことを覚えています。一番楽しかったのは合奏レッスンです。友だちに会える、お菓子が食べられるというのも楽しかったのですが、今までに習った曲をどんどん弾けるというのが楽しかったのだと思います。

山澤先生のご自宅で話題の猫ちゃんと怜央奈さんと

 山澤先生はいつも明るく、はきはきとレッスンをされていて、子どもながらに背筋がピンとするようなレッスンでした。前後の人のレッスンを聴くことも当たり前のようにしていましたが、それがとても勉強になっていたのだと思います。先生のお家の猫ちゃんたちと遊んだことも楽しかった思い出です。また、夏期学校にも何度か参加しました。松本の温泉と美味しいご飯は最高でしたし、普段とは違う先生、違う場所、違う友だちと一緒のレッスンは、ワクワクするような楽しい緊張感でした。

汐澤安彦先生と中谷さん、そして山澤先生ご夫妻

 教室を卒業してからも、発表会やクリスマス会に呼んでいただいたり、山澤先生とのつながりは、僕にとって帰る場所のように大切なものとなっていきました。2024年には汐澤安彦先生の指揮で山澤先生が所属されている白金フィルハーモニー管弦楽団の皆様と、チャイコフスキーのコンチェルトを共演させていただき、僕にとっては本当に貴重な経験となりました。

 振り返ってみると、僕の16年間はヴァイオリンが中心で、ヴァイオリンを通じて世界が広がっていきました。僕の音楽の根底にあるのは「音楽は楽しい!」と感じる僕の心だと思っています。弾いているとなにか心の奥が動くのです。それは、山澤先生、お教室のみんなと幼い頃から自然に歌ってきたことで培われたものです。
 
 今回、日本音楽コンクールでよい結果をいただき、信じられない思いですが、同時に通過点であり、スタート地点でもあると実感しています。慢心することなく、僕の原点や人として大切なことを忘れずに、音楽に邁進したいと思います!


お母様からも、素敵なメッセージをいただきました。
 

山澤先生と出会ったことが、子どもたちがヴァイオリンを心の支えとし続けている理由だと私は思っています。

母:中谷麻衣子

 娘の怜央奈が幼稚園に入るころ、ヴァイオリン教室を探していました。「ヴァイオリンを習いたい」と言い始めたからです。ちょうど2月に息子の哲太朗が生まれたばかりで、その3月に横浜に引っ越しをしたこともあり、幼稚園探し、ヴァイオリンのお教室探しを哲太朗をおんぶしながらしておりました。電話帳で探した山澤先生のお教室に電話すると、赤ちゃんと一緒でも見学できるとのこと。とても嬉しく、早速お教室におじゃまし、そこから山澤先生とのご縁が始まりました。

姉の玲央奈さんと

 怜央奈のレッスンでは、哲太朗は寝ているか、ご機嫌よく起きているかで、あまり困った記憶はありません。山澤先生のレッスンは厳しくも愛情いっぱいで、猫ちゃんたちとも遊びながら、私にとっても心が満たされる時間でした。そのうち哲太朗も2歳になり、少しずつレッスンが始まりました。怜央奈が真面目に練習していたこともあり、哲太朗もお姉ちゃんの真似をしていたのか、練習もしっかりやっていたのではと思います(あまり覚えていないんです…)。二人とも歌うことも大好きで、家の中で舞台を作っては、一人が指揮者、一人が歌手になって発表会ごっこをしたり、二人でヴァイオリンを弾きながら歌い始めたり、二人にとって音楽、ヴァイオリンはやはり生活の中心にありました。

 山澤先生には多くのことを教えていただきました。とにかく親も子も一生懸命やること。ヴァイオリンが弾けることよりももっと大切なことがあるということを、日々、身をもって示してくださいました。先生のレッスンは時に厳しいものでしたが、子どもたちもそれは愛情に基づいたものだとわかっていて、今でも先生が第二のお母さんのように大好きです。親以外に心底信頼できる大人がいることは、親として本当にありがたいものです。単なる技術を教えるヴァイオリンの先生ではなく、山澤先生と出会ったことが、二人がヴァイオリンを心の支えとし続けている理由だと私は思っています。

 今回、哲太朗は幸運にも大変よい結果をいただきました。哲太朗はコンクールをたくさん受けてきましたが、結果ではなく、プロセスを大事にしようと、ここまで歩んできました。もちろん良い結果のほうが嬉しいですが、悪い結果でもそれで人生が終わるわけではなく、必ず次につながると信じてやってきました。どんな世界でも同じだと思いますが、他の人と競うのではなく、自分がどこまでやれるのかを試すことができるのがコンクールだと思います。今回の経験をまた今後に生かして、自分の道を切り開いて、進んでくれたらと願うばかりです。

 改めて、山澤先生、お教室の皆様、応援してくださった皆様に、お礼を申し上げたいと思います。これからも、どうか哲太朗を見守っていただけたらありがたいです。

 
そして、山澤敦子先生からの喜びのメッセージです。
 

哲太朗くんとは、恩師の汐澤安彦先生が旅立たれる前に、ソリストとして共演でき、
感慨深い思いで、いっぱいです。

山澤敦子(関東地区ヴァイオリン科指導者)

 
 私が哲太朗君に会ったのは彼が生後2ヵ月の時です。姉の怜央奈ちゃんがレッスンを始めるにあたって、彼が外に出でも良くなる時を待ってお母さんが2人を教室に連れてらっしゃいました。ママのおっぱいを飲みながらレッスンを聴いている状態でした。そのうち怜央奈ちゃんや他の生徒が弾く曲を歌いながら遊ぶようになりました。合奏レッスンの時は歌いながら、踊りながら、全身で音を楽しんでいたように思います。
 

大関万結さんと

 楽器を持ってからは、やりたい音楽が迸るように上達していきました。小2になる春、大関万結ちゃんへの憧れが強く、同じ先生で学びたいという怜央奈ちゃんと一緒に私の教室を卒業していきました。前年暮れにバッハのイ短調の協奏曲を卒業録音を録り、その年の4月には「金の卵」のコンクールで優勝。

 その後も、発表会、クリスマス会に出て、教室の行事に姉弟揃って演奏しに来てくれています。

白金フィルを応援にこられた大谷康子先生と。
藝大ジュニアアカデミーのマスタークラスに毎年
参加。コンクールの前もレッスンされたほど

 ちょうど1年前、私が所属する白金フィルハーモニー管弦楽団(明治学院大学OBオケ)でチャイコフスキーの協奏曲を演奏しました。

 アマチュアのオケで弾いていて、自分の生徒がソロで共演、しかも40年以上お世話になってきた汐澤安彦先生の指揮でできるなんて、夢、と思っていましたが、哲太朗君が叶えてくれました。そして、その2ヵ月後に汐澤先生があの世に旅立たれ、本当に最後に夢を叶えてくれたと、感慨深いものがあります。
 
 そして今回のコンクールでのチャイコフスキーはその時から数段、上達していました。1年間、たくさんの先生方に出会い、素直に吸収してきた様子が手に取るように伝わりました。
 まだ16歳。 まだまだ伸びていって欲しいと思います。


 
第94回日本音楽コンクール本選会の模様が、NHKのラジオ、テレビで放送されます。

ラジオ放送「NHK-FM」
いずれも19:35~21:15
声楽部門 11月17日(月)
オーボエ部門 11月18日(火)
ピアノ部門  11月19日(水)
バイオリン部門 11月20日(木)
フルート部門 11月21日(金)
作曲部門 11月24日(月・祝)

 
テレビ放送「クラシック倶楽部」(NHK-BS、BSプレミアム4K)
NHK-BS 5:00~5:55   BSプレミアム4K 6:15~7:10
声楽部門 12月15日(月)
オーボエ部門 12月16日(火) 
ピアノ部門  12月17日(水)
バイオリン部門  12月18日(木)
フルート部門 12月19日(金) 

 
■ドキュメンタリー 
「第94回日本音楽コンクールドキュメント」(NHK  Eテレ)
12月13日(土)   14:00~14:59