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スター先生、ありがとうございました!

 

 鈴木鎮一先生と親しく交流され、のちに初代アメリカスズキ協会会長(1972-74)として、現在に至るアメリカにおけるスズキの隆盛を形作られたウィリアム・スター先生が、12月26日に逝去されました。97歳でした。ご長女のキャスリーン、孫のジョセフとガールフレンドのアリー、そして彼の素晴らしい介護者ヴェロニカと一緒に自宅で歌に囲まれて穏やかに天国に召されたとのことです。彼の子どもたちと孫たちはその日、最後のお別れの電話をすることができました。
 
 スズキ・メソードが海外へ普及していく中で、スター先生の果たされた役割はとても重要で、歴史上でも大きな意義を持ちました。常に先陣を切られたその行動力には、舌を巻かれるほどでした。1967年に初来日され、鈴木先生と夏期学校を過ごし、一念発起し、奥様のコンスタンスと子どもたち8人(5男3女)の一家10人での松本市への移住は、翌年から1年2ヵ月にも及びました。その間に撮影されたムービーと鈴木先生からの薫陶が、スター先生の体内に蓄積し、アメリカに帰国されて、1972年にアメリカ スズキ協会の発足とともに初代会長に就任。スター先生のリーダーシップにより、鈴木先生の教えは、文字通りアメリカ大陸全体に伝わり、牽引されたのです。その教え子は全世界でスズキの発展に尽くされています。
 
 マンスリースズキでは、ミネアポリスで取材したアメリカスズキ協会40周年カンファレンスでの記事、コロラド州ボウルダーのご自宅にも招かれた機関誌の特集記事、そして2013年の松本で開催された世界大会でのパネルディスカッションの記事をここに掲載することで、スター先生のありし日の姿を偲び、追悼させていただきます。


機関誌No.180(2012夏号)
SAA Conference 40th Anniversary
(アメリカスズキ協会40周年記念カンファレンスの取材記事の一部)

機関誌No.182(2012-13冬号)
特集 ウィリアム・スター先生とスズキ・メソード


 

 

 

 

 

機関誌No.182(2012-13冬号)
グラビアページ


 

機関誌No.184(2013夏号)
第16回世界大会でのパネルディスカッション