1970年代

ロストロポーヴィチやシャフランとの感動的な交流。
チェロ全国大会を開催

 

第8回チェロ全国大会(神戸国際
会議場メインホール 1982.11.23)
のプログラム

ロストロポーヴィチと豆チェリストたちの
感動的な交流

 1971年10月30日、長野市で心温まるエピソードがありました。それが、世界の巨匠、ロストロポーヴィチと豆チェリストたちの感動的な交流でした。
 この時の詳細は、甲信地区チェロ科指導者の長瀬冬嵐(当時は夏嵐)先生が、第8回チェロ全国大会(神戸国際会議場メインホール 1982.11.23)のプログラムに寄稿されています(左の画像をクリックしてください)。
 
 また、2005年発行の季刊誌No.153では、来日されたロストロポーヴィチに特別にインタビューできる機会があり、その中でロストロポーヴィチは、次のように応えていました。
 「当時のこの写真、大変懐かしい写真ですね。あの時は、母を亡くした直後で、しかもソルジェニツィンをかくまったことでソ連当局から国外での演奏禁止を言われていた頃でした。やっとの思いで妻のヴィシネフスカヤと来日して、演奏会を開いたのです。この写真は、その本番直後に子どもたちが弾くバッハの“メヌエットキラキラ星変奏曲ちょうちょうが大変素晴らしくて、私もチェロを出してきて一緒に“メヌエットを弾いた時のものです。スズキ・メソードのように段階的に教えていくのは非常にいいし、重要なことであると思います。5歳、6歳で音楽をするといっても、その頃から難しい曲をやらせますと、精神的な面、知的な面での発育が逆に遅れることがあると思います。やさしい曲からだんだん難しい曲にステップアップしていくスズキ・メソードはとてもいいと思います」
 

シャフランとの再会(1976年)

シャフランとの交歓会(1974年)

 1974年には、ソ連の名チェリスト、ダニール・シャフランとの交歓会が、名古屋支部の中島顕先生のもとで行なわれました。これは、日ソ協会の方々のご厚意で実現したもので、子どもたちには大きな喜びと思い出を残しました。2年後、シャフランが再来日した折りに「あの時の子どもたちに逢いたい」という新聞記事を見つけた中島先生が、アプローチをしてみたところ、再会の機会を得ることができました。「氏の心の中に、スズキの子どもたちの印象が強く残っていたことが嬉しかった」と中島先生。
 

第1回チェロ全国大会(愛知県文化講堂)

 長野の長瀬先生クラス、京都の野村先生クラス、そして名古屋の中島先生クラスではお互いの交流がありました。次第に「チェロ科の全国大会をやろう」との気運が高まり、鈴木先生に相談すると「私は、その言葉をお待ちしていました」と即決。晴れて、第1回チェロ全国大会が愛知県文化講堂で開催されたのです。
 
 このように、海外から訪れる高名なチェリストが続く中、全国各地での教室展開も着実に行なわれ、チェロ科でも全国大会を開催しようという気運が生まれてきました。そこで、開催されたのが、1975年の第1回チェロ全国大会です。鈴木先生の生まれ故郷である名古屋の愛知県文化講堂で行なわれました。
 

第1回チェロ全国大会
でご挨拶をされる
佐藤良雄先生

 その時のプログラムには、チェロ科創設から20年余り経過したことへの佐藤良雄先生の深い感慨とともに、全国でチェロを学ぶ生徒が300名になった喜び、さらにはヴァイオリン科の7,000名に比べ、まだまだ運動を拡大したいとの強い願いを込められた文章が記されています。
 しかし、残念ながら、その佐藤良雄先生は2年後、71歳で亡くなられました。残された4人の息子さんのうち、音楽の道に進まれた三男の光さんはパリ管弦楽団のチェロ奏者として、四男の満さんは、関東地区チェロ科指導者として活躍されています。
 

現在は、まつもと市民芸術館の屋上にあります

 1978年には、全国の会員からの協力で、鈴木先生は、才能教育会館前のライラック公園(現在のまつもと市民芸術館)にカザルスの胸像を建立しました。1973年に亡くなられたカザルスの死を悼んだ鈴木先生は、「高い感覚、美しい心の立派な人に育てる音楽教育こそ、幼児の最高の教育であることを私は、はっきりと知りました」と第5回チェロ全国大会のプログラムで記されています。その強い思いが、この胸像には込められています。
 
1970年 中島顕先生、東海地区名古屋支部にチェロ科開設。3歳~50歳までの多岐にわたる生徒さんが集まり、ユニークなスタートを切った。
1971年10月30日 長野市民会館で演奏会終了後に、世界的な巨匠であるムスティスラフ・ロストロポーヴィチが子どもたちと「メヌエット」を演奏。 
1973年10月22日 カザルスが、移住先のプエルトリコで心臓発作のために死去。96歳だった。  
1974年 ソ連の名チェリスト、ダニール・シャフランの来日コンサート終了後、ステージで子どもたちの演奏を聴いていただく。シャフランの強い希望により、2年後に再会が実現した。
1974年 ソ連の名チェリスト、ダニール・シャフランの来日コンサート終了後、ステージで子どもたちの演奏を聴いていただく。シャフランの強い希望により、2年後に再会が実現した。
1975年5月4日 関東・関西・甲信・東海の各地区でチェロ科が充実。第1回チェロ全国大会を愛知県文化講堂で開催。
1976年5月1日 杉山 實先生が、助教に認定され、関西地区に教室を開いた。
1976年5月9日 第2回チェロ全国大会を中野サンプラザ大ホールで開催。
1977年6月12日 第3回チェロ全国大会を長野市民会館大ホールで開催。
1977年12月17日 佐藤良雄先生がご自宅で亡くなられた。71歳だった。
1978年3月1日 佐藤満先生が、助教に認定され、関東地区に教室を開いた。
1978年12月1日 久保田顕先生が、指導者に認定され、東海地区に教室を開いた。
1978年5月14日 第4回チェロ全国大会を神戸文化ホールで開催。
1978年7月3日 鈴木鎮一先生によって、カザルスの胸像が才能教育会館前に建立された。
1979年5月5日 第5回チェロ全国大会を愛知県勤労会館大ホールで開催。