1990年代
堤 剛先生による指導曲集の録音。
林 峰男先生を講師として招聘。
1992年には、現在、世界中で使われているチェロ指導曲集の録音が、テネシーとフロリダのスタジオで行なわれました。チェロが堤剛先生、ピアノが東誠三先生でした。この録音を堤先生にお願いをされたのには、7年前の出会いがありました。それが、エドモントン(カナダ)で開催されたスズキ・メソード第7回世界大会で、マスタークラスとコンサートに出演されていた堤 剛先生のお姿に、参加していた中島 顕先生が高い芸術性を感じられたのです。
このエドモントンでの出会いをきっかけに、中島先生は「堤先生の演奏で教材の録音をしたい」と国際的なチェロ科の会議で進言されたところ、世界の指導者たちの圧倒的な賛成を得ました。堤先生は、この時の録音をよく覚えていらっしゃいました。「世界中の教室で使われるので、各国の偉い先生たちが、調整室にずらりと勢揃いでした。ヨーロッパでは、そう教えていない、ここはスラーにした方がいいなど、すぐに議論が始まります。指導曲集の後半はチェロのスタンダードな曲が並び、議論になりませんが、初歩の曲、特にキラキラ星変奏曲が一番大変でした。あれほど有名な曲が、あれほど難しいとは思わなかったのです」と2014年の季刊誌の「先輩」インタビューで、堤先生は懐かしそうに応えてくださいました。
第24回チェロ全国大会(2012年札幌)で
ご挨拶をされる林峰男先生
スズキ・メソードでチェロを習われていた高円宮
憲仁親王殿下が「第1回1000人のチェロ・コンサ
ート」に3人のお嬢様とご一緒に参加されました
1990年4月22日 | 第15回チェロ全国大会を長野県県民文化会館中ホールで開催。 | ||||
1991年5月4日 | 第16回チェロ全国大会を吹田市文化会館メイシアター大ホールで開催。 | ||||
1991年 | 第60回日本音楽コンクールチェロ部門で本会チェロ科出身の菊地知也さんが1位と増沢賞を受賞。 | ||||
1992年 | 佐堤 剛先生による指導曲集の録音が、テネシーとフロリダのスタジオで2回にわたり、行なわれた。 | ||||
1992年4月1日 | 川手由紀先生が、指導者に認定され、甲信地区に教室を開いた。 | ||||
1992年9月15日 | 第17回チェロ全国大会を愛知厚生年金会館ホールで開催。 | ||||
1993年9月12日 | 宮田豊先生が、助教に認定され、関東地区に教室を開いた。 | ||||
1994年11月13日 | 第19回チェロ全国大会を長野県松本文化会館大ホールで開催。 | ||||
1995年 | 第64回日本音楽コンクールチェロ部門で中島 顕先生クラス出身の長谷部一郎さんが1位に。 | ||||
1996年 | チェロ科講師として林 峰男先生を迎えた。以後、現在に至るまで、全国指導者研究会や夏期学校、および国際スズキ・メソード音楽院や各地のマスタークラスで精力的な指導を行なっている。 | ||||
1996年9月15日 | 第20回チェロ全国大会を名古屋市民会館大ホールで開催。 | ||||
1997年5月1日 | 為貝 豊先生が、助教に認定され、関東地区に教室を開いた。 | ||||
1997年9月14日 | 第21回チェロ全国大会をティアラこうとう大ホールで開催。 | ||||
1998年11月29日 | 神戸ワールド記念ホールで開催された「第1回1000人のチェロ・コンサート」にチェロ科の生徒50名、指導者20名が参加。アンコールにも、スズキの子どもたち100名(高円宮様ご一家4名様を含む)が参加し、合計170名に。1,013人の記録達成に大きく貢献した。 | ||||
1999年6月1日 | 森(現在 小澤)由季野先生が、指導者に認定され、九州地区に教室を開いた。後に東海地区に教室を開いた。 |