2000年代
才能教育課程以降対象の副教材を制作。
創設50周年を記念し、チェロ・コングレスに参加
林 峰男先生とチェロ科指導者による定期的な研究活動を通じて、よくテーマに取り上げられたのが、各指導曲の奏法の研究でした。楽譜については、8巻までが全音楽譜出版社よりすでに出版され、必要に応じて改訂されてきました。才能教育課程以降に学ぶボッケリーニのチェロ協奏曲変ロ長調やハイドンのチェロ協奏曲第1番ハ長調、バッハの無伴奏チェロ組曲第3番、サン=サーンスのチェロ協奏曲第1番、ブラームスのチェロ・ソナタ ホ短調については、市販の楽譜をそのつど手書きで直しながら、レッスンが進められていました。 2000年代に入って、林 峰男先生の意思を込めた楽譜を副教材としてきちんとまとめる必要性が高まり、楽譜制作委員会を立ち上げ、その第一弾として2005年にバッハの無伴奏チェロ組曲第3番を作りました。指導者が手分けして音符を打ち込み、楽譜ソフトで仕上げ、最終的に井上弘之先生が楽譜の定番サイズである菊倍判(304×218mm)として製本しました。こうして、現在も全国の教室で上級生の使っている楽譜が誕生しました。
各曲とも、チェロ科の研究会や全国指導者研究会が開かれるたびに、改訂作業を進めてきました。同時に、生徒たちが学ぶための音源として、CDの必要性も高まり、2009年の改訂版からはCDも添付。演奏は、林 峰男先生のチェロ、大住綾野先生のピアノによるもので、2010年7月に至るまで、順次録音されていきました。市販の協奏曲のCDがオーケストラ伴奏であるのに対し、このCDをピアノ伴奏としたことで、ピアノとの共演で卒業録音に臨む生徒たちの利便性にも応えたことになります。
一方で、通称「緑の本」と呼ばれる副教材も同時に制作しました。これは、ヴァイオリン科の生徒たちと全国大会(グランドコンサート)や各支部での発表会などで弦楽合奏をする際に、セカンドパートをチェロが担当することで、アンサンブルを一緒に楽しむことができます。元になったのは、鈴木先生が作られたヴァイオリン科用のセカンドパートでした。初級の時代から、アンサンブルの喜びを感じられるスズキ・メソードならではの副教材です。
各曲とも、チェロ科の研究会や全国指導者研究会が開かれるたびに、改訂作業を進めてきました。同時に、生徒たちが学ぶための音源として、CDの必要性も高まり、2009年の改訂版からはCDも添付。演奏は、林 峰男先生のチェロ、大住綾野先生のピアノによるもので、2010年7月に至るまで、順次録音されていきました。市販の協奏曲のCDがオーケストラ伴奏であるのに対し、このCDをピアノ伴奏としたことで、ピアノとの共演で卒業録音に臨む生徒たちの利便性にも応えたことになります。
一方で、通称「緑の本」と呼ばれる副教材も同時に制作しました。これは、ヴァイオリン科の生徒たちと全国大会(グランドコンサート)や各支部での発表会などで弦楽合奏をする際に、セカンドパートをチェロが担当することで、アンサンブルを一緒に楽しむことができます。元になったのは、鈴木先生が作られたヴァイオリン科用のセカンドパートでした。初級の時代から、アンサンブルの喜びを感じられるスズキ・メソードならではの副教材です。
もう一つ、大きなトピックスがありました。2005年に神戸で行なわれた世界的なチェロのイベント「インターナショナル チェロ・コングレスin神戸2005」に、「10チルドレンコンサート」、2歳から大人まで約300名が参加した「第23回チェロ全国大会」、そして「第3回1000人のチェロ・コンサート」と、3つの大イベントがスズキ・メソードの大きな可能性を世界に印象づけたのです。いずれもチェロ科創設50周年を記念しての参加でした。
ロストロポーヴィチ、シュタルケル、グリーンハウス、ゲリンガスなど世界に名だたるチェリストたちが集合したこのコングレスで、彼らが一様に驚いたのが、チェロ科の子どもたちが高い能力を発揮した演奏でした。多くの賛辞が寄せられました。「ベルリン・フィル12人のチェリスト」の一人であり、ポツダムで341人によるチェロの祭典を開き、「1000人のチェロ・コンサート」のひな形を作られたルドルフ・ヴァインスハイマーさんからのメッセージを、季刊誌153号から引用して、紹介しましょう。
スズキのプログラムを1000人のチェロの伴奏で2曲
披露した「第3回1000人のチェロ・コンサート」の
一場面。並んで座ると背丈が大人の半分しかみたない
スズキの子どもたちが、いざ演奏となると会場一杯に
スズキトーンを響かせたのです!
私は神戸でスズキ・メソードの子どもたちと出逢えて、大変喜んでいます。
すでに1998年、1000名以上のチェロ奏者により神戸で行なわれた「第1回1000人のチェロ・コンサート」の際、特別出演したスズキの子どもたちに驚嘆し、それは大きな喜びでありました。非常に感激した私は、ヨーロッパ最大の音楽家向け雑誌「オーケストラ」に、この出逢いについての記事を掲載してもらい、子どもたちの写真がこの雑誌の表紙を飾ったものでした。
今回は事前に教えていただいたわけですが、大規模で重要なチェロ・コングレスの際に、スズキの子どもたちを交えて行なわれるコンサートを待ちかねておりました。私はそのすべてのコンサートに赴き、4歳から15歳までの生徒たちの、信じがたいほどの能力に深く感銘いたしました。このような小さな生徒に動機を与え、夢中にさせる先生方の愛情や情熱は、いかばかりであったかと、しみじみ感じ入っております。
300名のチェロ科の生徒によるコンサートは、魂を心底から大きく揺さぶるものであり、決して忘れることができません。私たち1069名のチェロ奏者は、ヴィヴァルディを奏でる子どもたちに接することができ、どんなに嬉しかったことでしょう。
数人の生徒や親御さんとも話をしましたが、そこからは文字通り、一緒になって演奏する喜びと感動そのものを感じ取ることができました。幼いときから音楽と楽器に親しませることは、本当に素晴らしいアイデアです。この独特な音楽教育は、子どもたちの人格形成にも役立ち、生涯にわたって影響を与え続けることでしょう。世界中のより多くの子どもがスズキの教育に習熟し、素晴らしいアイデアを引継いで行くことを、心から願ってやみません。
2005年8月3日(ベルリンにて)ルドルフ・ヴァインスハイマー
悲しいニュースもありました。関西地区チェロ科指導者として活躍されていた杉山 實先生が、2006年5月22日に亡くなられました。中島 顕先生が追悼の文章を季刊誌157号に寄せられています。心からの同志を失われた惜別の思いが伝わってきます。
「私たちは同期で、ともにスズキで育たなかったなど、幾つも共通点があり、よく時を忘れてスズキ・メソードへの夢を語ったものでした。水島隆郎先生(在オーストラリア)が加わると、激論というより、すぐに喧嘩が始まったような次第です。お互いにアプローチは違っても求めるところは同じということがわかってからは、行き詰まると、よく連絡を取り合ったものでした。一方、誰とでも、どのような分野の人々とも、分け隔てなく接する杉山先生の人柄は多くの人たちから愛され、いつも大きな輪ができていました(後略)」
「私たちは同期で、ともにスズキで育たなかったなど、幾つも共通点があり、よく時を忘れてスズキ・メソードへの夢を語ったものでした。水島隆郎先生(在オーストラリア)が加わると、激論というより、すぐに喧嘩が始まったような次第です。お互いにアプローチは違っても求めるところは同じということがわかってからは、行き詰まると、よく連絡を取り合ったものでした。一方、誰とでも、どのような分野の人々とも、分け隔てなく接する杉山先生の人柄は多くの人たちから愛され、いつも大きな輪ができていました(後略)」
2000年6月1日 | 河地正美先生が、助教に認定され、関東地区に教室を開いた。 | ||||
2001年8月25日 | 野村武二先生没後20年のメモリアルコンサートが、大阪のザ・フェニックスホールで開かれた。 | ||||
2002年4月1日 | 瀬畑むつみ先生が、助教に認定され、九州地区に教室を開いた。 | ||||
2002年4月1日 | 原 香恋先生が、助教に認定され、甲信地区に教室を開いた。 | ||||
2003年1月13日 | 第22回チェロ全国大会をメルパルクホールFUKUOKAで開催。 | ||||
2003年3月1日 | 廣岡直城先生が、指導者に認定され、東海地区に教室を開いた。 | ||||
2003年 | 第72回日本音楽コンクールチェロ部門で臼井洋治先生クラス出身の遠藤真理さんが1位に。 | ||||
2004年4月1日 | 池田沙和子先生が、指導者に認定され、北陸越地区に教室を開いた。 | ||||
2005年5月 | 楽譜制作委員会を立ち上げ、才能教育課程以降の生徒を対象に、林 峰男先生監修の楽譜を制作。全国の教室で副教材として使用することになり、まず、バッハの無伴奏チェロ組曲第3番の楽譜を制作した。 | ||||
2005年5月20日~22日 | 「インターナショナル・チェロ・コングレス in 神戸2005」を国際チェロアンサンブル協会と共催。あわせて、「10チルドレンコンサート」、チェロ科創設50周年記念第23回チェロ全国大会をポートピアホール(神戸市)で開催。「第3回1000人のチェロ・コンサート」にも多数の生徒が参加した。→第23回プログラム | ||||
2005年 | 第74回日本音楽コンクールチェロ部門で宮田豊先生クラス出身の宮田大さんが1位と増沢賞を受賞。 | ||||
2006年5月22日 | 北大阪支部の弦楽合奏団「北大阪ユング・ゾリステン」を永年導くなど、チェロ科にとどまらず、広く才能教育研究会の発展に尽くされた、関西地区チェロ科指導者の杉山 實先生が亡くなられた。60歳だった。 | ||||
2006年10月 | 副教材として、サン=サーンスのチェロ協奏曲第1番の楽譜を制作。 | ||||
2006年12月 | 副教材として、セカンドパート用の「緑の本」を制作。弦楽合奏に大いに役立った。 | ||||
2006年12月1日 | 第1回ガスパール・カサド国際チェロ・コンクール(東京・八王子)の関連事業として、100名のチェロ科の子どもたちによる「ピッコリーナ・ピッコリーノ」コンサートを開催。→季刊誌158号記事 | ||||
2007年4月1日 | 伊藤岳雄先生が、指導者に認定され、関西地区に教室を開いた。 | ||||
2007年5月 | 副教材として、ブラームスのチェロ・ソナタ ホ短調の楽譜を制作。 | ||||
2007年5月 | 副教材として、ブラームスのチェロ・ソナタ ホ短調の楽譜を制作。 | ||||
2007年12月 | 副教材として、ボッケリーニのチェロ協奏曲 変ロ長調の楽譜を制作。 | ||||
2008年5月 | 副教材として、ハイドンのチェロ協奏曲第1番 ハ長調の楽譜を制作。 | ||||
2009年2月 | 副教材の添付CDとして、サン=サーンスのチェロ協奏曲第1番を林 峰男先生のチェロ、大住綾野先生のピアノで録音。以後、2010年7月に至るまで、ボッケリーニ、ハイドン、ブラームスのCDを順次、制作した。 | ||||
2009年4月1日 | 宮下壮介先生が、指導者に認定され、九州地区に教室を開いた。 | ||||
2009年11月7日 | チェロ科出身の宮田 大さんが、パリで行なわれた第9回ロストロポーヴィチ国際チェロコンサートで、日本人として初めて優勝。 | ||||
2009年12月 | 諏訪湖畔での1泊2日でのチェロ科研究会が、この年から恒例に。 |