0〜3歳児コース特別講師、村尾忠廣先生による「英訳一茶100句集」書評!
書評
100 Enjoyable Haiku by Issa in English and Japanese
Selected by Shin’ichi Suzuki
英訳一茶100句集
俳句を学び英語を学ぶ
鈴木鎮一/選
宮坂勝之、宮坂シェリー、柳沢京子
鈴木鎮一先生が選定された小林一茶100句集が英訳され、近々出版されるということを早野会長から聞いておりました。鈴木先生の選定された100句をすべて英訳するとなると、それだけで画期的なことです。ところが、実際に出版された本書を手にして私は驚愕いたしました。日本語のタイトルは「英訳一茶100句集」となっていますが、英文タイトル100 Enjoyable Haiku by Issa in English and Japaneseが示しておりますように、本書は英語・日本語が対等に組み合わされた一茶俳句の解説、解釈本なのです。日本語の解説部分だけをとっても私にはその内容がすこぶる刺激的で、読みながら興奮いたしました。ましてや英訳俳句につきましては、私自身、日本語、日本音楽のリズムと英語、洋楽のリズムとの関係に長年興味と関心を抱いてきましたから、ワクワクしながら読ませていただきました。さらに、本書には志の輔師匠とパックンによる俳句の音声ファイルが付嘱されています。一茶の俳句をどう英訳するかということに加えて、その俳句がプロフェッショナルな人によって演奏(音読)されているのです。興味津々たるものがあります。あまりに面白かったために、ついつい長文になってしまいましたが、以下は、本書から私が学び、考え、そしてまた新たに思いついたことなどを綴ったものです。
一茶の句に秘められた裏の意味を知る
「昔は女の子が生まれると、嫁入り道具用に桐の木を植えたもので、一茶もそうしました。葉の落ちる時期になり、伸びやかに立つ桐の木の成長を見て亡き娘を偲んでいます」
そういうことだったのか、と思わず声に出してしまいそうになりました。言われてみれば、花嫁道具と言えば昔は「桐の箪笥」です。私も子どもの頃に親からよく聞かされておりました。しかし、恥ずかしながら、私はこの句のそうした背景に気づくことなく、言葉のリズムと響きを楽しんでいたようです。背景を知ると、途端に本書に解説された「俳句とは」の一文が思い起こされてきました。
「俳句の本質は作者の心の表現です。短さ、簡潔さのために丁寧な説明は省かれます。限られた語数、〈切れ〉がもたらす余韻(言葉が終わった後に残る感情)があることから、解釈は読者の思いで自由に広げられ、深められます。読者はある時は作者の心に入り込み、またある時には自分の思いに重ねて、語感、行間、そして余韻を含めて思い思いに解釈します」
私はこの句の背景を知ることで「作者の心に入り込む」自分を感じたのですが、この時、「〈切れ〉がもたらす余韻」を感じたのです。〈切れ〉と〈切れ字〉については別個に説明がなされていますが、この句で言えば、「桐の木や」の「や」で一旦止まるように切れています。この切れるために置かれた文字が〈切れ字〉の「や」です。「や」で止まることで、桐の木を植えた時のこと、女の子が亡くなった時のこと、その他様々なことが一瞬脳裏を過ぎるのでしょう。私はこの句の背景を知ることで、切れ字のもたらす感嘆、余韻をも体験することになりました。
さて、本書には他にもたくさん私の知らなかった句の背景があります。中には誤解をしていたこともありました。例えば、「我と来て 遊べや親のない雀」では、親雀は何かの理由で亡くなったのだろう、と勝手に受け取っていました。本書では、簡潔な解説とは別に「追加情報」として雀の親子の習性が述べられています。親雀は、亡くなったわけではなく、雀の子が自分で生きていけるように少し離れたところから見守っているのでした。正直、あまり好きではなかった句ですが、そういうことを知ると途端に親しみが湧いてきます。同じような例は、長崎に行った時に作られたという「日本は、入り口から 桜かな」や人の魂を思い起こさせるという「大蛍 ゆらりゆらりと 通りけり」など、あげてゆけばきりがありません。もっと述べたいのを我慢して次に移らせていただきましょう。
プロフェッショナルな俳句演奏(音読)の音声ファイル
立川志の輔師匠
パックン
音声ファイルは、句が2回繰り返して読まれますと、その後、少しの間、何も音がありません。ここは、志の輔師匠の朗唱(摸唱)を聞き手が模唱するところなのです。ヴァイオリンのお稽古と同じように、お手本を聴いてそっくり模唱する、そういう場所が設けられています。つまり、本書は、解説本、英訳本であると同時に学習本としても工夫されているのです。模唱の後、宮坂先生の書かれた解説文を志の輔師匠が読んでいます。この解説文の語りがまた素晴らしい。さすが、プロの噺家です。
さて、パックンの方はどう演奏(朗唱)しているでしょう。私はネイティブの英語スピーカーではありませんから、英訳された俳句を示されてもどういうリズムで音読すればよいかがわかりません。たとえば、第1番の “A little kitten”(猫の子の・・・)は俳句の5・7・5のリズムを英語のシラブルに適用しています。詳しくは後ほど述べますが、英訳は実に見事です。しかし、フランス語やイタリア語のようなsyllable-timed rhythm (シラブル間をほぼ等間隔に発音するリズム)と違って英語はストレスのある間隔(Foot)を等しくとるstress-timed rhythmです。果たして、パックンはシラブルを等間隔にした5・7・5のリズムで朗唱するのでしょうか。それとも、読むときには英語のリズムを優先するのでしょうか。ワクワクしながら聴いてみました。正確ではありませんが、パックンが詠んだリズムを楽譜にするとほぼ次のようになります。
明らかに、5・7・5のリズムでは詠っていません。このリズムは確かに存在するのですが、潜んでいることになります。不定冠詞のAはアウフタクトであり、楽譜にすると3拍子のようです。ただし、休符のところは進んで行く拍ではなく、止め(切れ)のように感じられます。通常の英文ならば主語の後に動詞が置かれてA little kitten tries to huntのように続くでしょう。しかし、英訳俳句はA little kittenの後に動詞が続いていません。そこで途切れたような感じです。途切れて1拍分の間をとり、いきなりhuntingと始まります。これは動名詞というより現在進行形 “is hunting”のbe動詞が省かれたような感じがします。猫の子が今動いているイメージです。パックンが実に上手くその動きを表現しているのですが、朗唱(演奏)のリズムは私の意表を突くものでした。little kittenはそれぞれ「2シラブル1ワード」に1拍が割り当てられていたのですが、huntingは同じ「2シラブル1ワード」でありながら、休符も含めて2拍半も間をとっているのです。そしてandをアウフタクトのようにして急き込むようにalmost に飛び込み、catchingで止まります。パックンはこの後、息を深く吸ってテンポを落とし、緩やかにfallen, blowingと抑揚を上に回すようにしています。木の葉の舞い落ちる様子を声で描いたのでしょう。最後は上がった抑揚から落ちるようにleavesで締めくくられています。旋律はありませんが、実に音楽のような演奏(朗唱)です。
第2番のBig umbrella leaf (蕗の葉に・・)も5・7・5のシラブルリズムで作られていますが、パックンの朗唱は第1番とよく似ています。これに対し、5・7・5シラブルで作られ、朗唱においてもこのリズムが良く合っているような句があります。これについては、英訳の問題と深く関わってきますので後で論ずることにいたしましょう。その前に、本書のもう一つの素晴らしい特徴、切り絵とイラストについて述べておきたいと思います。
切り絵とイラスト
日本語・英語のリズムと俳句の英訳
私は、英語の俳句は無理ではないか、と長く思っておりました。その最大の理由は、英語が強勢拍リズム(stress-timed rhythm)リズムであるのに対し、日本語はフランス語やスペイン語と同じような音節拍リズム(syllable-timed rhythm)になっているからです。本書では英語のシラブルと日本語のモーラの違いが説明されていますが、英語やドイツ語に代表される強勢拍リズムについて述べられていませんでしたので、ここで少し付け加えさせていただきます。音節拍リズムがシラブルを等間隔に発音するのに対し、強勢拍リズムは強勢の置かれた拍の間(foot)を等間隔にします。物理的に測定しますと等間隔ではないのですが、心理的にはそうなるようです。例として、一茶俳句の2番、「Big umbrella leaf (蕗の葉に・・・)」を取り上げましょう。パックンは、およそ次のように詠んでいます。(1回目と2回目で少しリズムが異なりますが)
Bigは1シラブル、umbrellaは3シラブルなのですが、各シラブルを等間隔にするのではなく、強勢のある言葉の間隔(foot)を等しくして詠んでいます。面白いのは、中間部分が2倍近い等間隔になっていることです。私は黒丸で示した強勢拍を軽く膝を叩きながらこの俳句を詠んでみました。面白くて、楽しくて、つい何度も繰り返してしまいます。何回かやっている内に、何故か英訳のこの句の方に〈切れ〉が感じられるのです。「蕗の葉に 飛んで」は繋がっていて切れていませんし、「ひっくり 蛙」も掛詞で繋がっています。ところが、「Big umbrella leaf」はそこに切れ字がないにも関わらず俳句の〈切れ〉があるかのように感じられます。「then plop!」の後も同様です。これは確かに英語のHaikuです。私はこうした英訳俳句を楽しむことができるようになって、それまでの考えを変えました。その上で、さらに面白い発見です。
第1番、2番の5・7・5シラブル英訳俳句は、英語の強勢拍リズムで詠んだものでしたが、本書に収められたものの中には音節拍リズムで詠んでも面白いものがあります。その例としてBaby on her back(子を負うて・・・)を取り上げてみましょう。パックンはほぼ次のように等拍音節に近いリズムで詠んでいます。(ただし、coldは長めに、andは短くしている)
このように楽譜に書いてみれば、まるで歌のようです。考えてみれば、英語でも歌うときにはしばしば音節拍(syllable-timed)リズムになります。例えば「キラキラ星」です。Twinkleもlittleもそれぞれ2シラブルですが、Twinkle, twinkle little star, how I wonder what you areというように1シラブルに4分音符を等間隔において歌っているのです。
Baby on her back.aiff(唱歌風)
子を負うて.aiff(わらべ唄風)
さて、英訳俳句には以上のように5・7・5のシラブルで作られたものがあるのですが、本書に収められているのは100句中27句のみです。基本的には、5・7・5にこだわらず、英語のリズムで3行形式の俳句にしています。そのことを最もよく表しているのが「露の世は 露の世ながら さりながら」の英訳です。当初は、5・7・5のシラブルによる英訳を試みたようですが、最終的には「英語としてより詩的で美しい響きを重視」して以下のような英訳俳句になった、と説明されています。
The world of dew, is the world of dew, and yet, and yet
英語も俳句もまったく素人の私がこういうのはおこがましいのですが、この英訳俳句は実に見事だと思います。もちろん、見事であるのはこの句だけではありません。実は、失礼を承知で、他の人の英訳と比べてみました。一茶俳句の英訳はいろいろありますが、もっとも名高いのはNanao Sakaki (ななおさかき)による一茶俳句の英訳本INCH by INCHでしょう。一例を挙げてみます。「やれ打つな 蝿が手をすり 足をする」の英訳です。Nanao訳は次のようになっています。
Don’t swat the fly who begs your pardon wringing his hands and legs
これに対し、本書の英訳は次の通りです。
Don’t swat! see the fly rub its hands rub its feet
比べてみますと、Nanao訳は少し説明的であるような気がします。この点、宮坂訳は簡潔で何よりリズミカルです。声に出すと、思わずflyとhandsを跳ね上げてしまうでしょう。rub itsが繰り返されていたりするのもまた楽しく、まるで音楽のようなリズムです。5−7−5ではなくとも、これはまさしくHaikuのリズムだと思います。日本の小さな子どもでもこのリズムならば喜んで楽しそうに暗唱するのではないでしょうか。何だかその姿が眼に浮かぶようです。
本書を通じて私は実にたくさんの面白い発見をし、勉強させていただきました。スズキの指導者、生徒さんはもちろんのこと、世界中の様々な人にまで本書が知られ、読まれ、理解されることを心より願っております。