オーストラリア在住のヴァイオリン・ヴィオラ科指導者、ロイス・シェパード先生のご著書「鈴木鎮一先生の思い出」日本語訳の連載第10回です。今回も、第5章「思い出」後半の最後の部分の続きを掲載します。時代を超えた鈴木鎮一先生の姿が活写されています。

第5章  思い出(後半の最後の続き)

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 生命への畏敬を
 
 先生は、電車の中で会う乗客など、公共の場で会う人々にも話しかけるべきだと仰っていました。私たちがともにその場にいることは、運命的なことなのですから。
 「その人たちは、あなたが知らないことを知っているかもしれませんよ。きっと何か学ぶことがあるはずです」と語っておられました。
 
 鈴木鎮一先生という人は、聴衆の心を掴み、コミュニケイトすることに、非常に長けた方でした。市民対象に行なわれた松本市民会館での講演を聴きに行った時、何人ものがこう言っているのを耳にしました。「鈴木先生はずっと私の方を見ておられたわ」
 
 親御さんに講演をされる時、先生はいつも率直でした。先生は、親が家で「練習しなさい!」と強要していないかと案じておられました。
 
 小言ばかり連発して、教育だと思っている、その方法は、言いかえれば“能力の育たない教育法”だと言える
 
  親の笑顔は子の笑顔
 
 子どもの顔は夫婦の歴史
 
 幼児時代に育てられたものが、このように根強く人間の能力を決定してゆくかを思い知らされる
 
 世界中のこどもを音痴にも育てられる
 
 私たちの師は、深く分析してお考えになる方でした。教師、親、そして一般の人々になさる講演は、いつも変わらず静かで自信に満ちたものでした。ユーモアのセンスと軽やかさを持ちつつも、先生のメッセージはダイレクトで真剣でした。
 
   先生のお話は尽きず、何時間でも話し続けることができました。壇上に奥様がいらしたら、彼の上着をつまんで話し過ぎだと伝えられたことでしょう。
 
 ある時、ヴァイオリン指導者向けの講演を皆がうっとりと聞いていた時のことです。突然、驚いたことに、先生のズボンがずり落ち始めました(先生はベルトやズボン吊りがお嫌いでした)。先生は何も気づかれずに、身振り手振りを加えて、壇上を行ったり来たりしながら熱のこもった講義を続けられました。白い下着の線がズボンの腰回りから少しずつ見え始め、どんどん露わになっていきました。
 
 「なぜお気づきにならないのだろう?」私は自分に問いましたが、答えはもちろんわかっていました。話をされるのに一生懸命なのです。
 
 東京から来られていた素晴らしい指導者である広瀬八朗先生が、ホールの後ろから通路を歩いて来られました。広瀬先生は左右に丁寧にお辞儀され、鈴木先生の講義にはもう集中できていなかった聴衆に向かって、恥ずかしそうに微笑まれました。聴衆は鈴木先生の下着に催眠術をかけられたような状態でした。壇上に上がると、広瀬先生は鈴木先生に合図をし、耳打ちされました。
 
  鈴木先生はご自分のズボンをご覧になりました。
  そして大きなジャンプをしながらズボンを腰回りまで引き上げ、仰いました。
 「これでいい音が出せますね」と得意気に叫ばれました。
 講演の最後には、アドバイスをしようとしたり、安全ピンを渡そうとする何人もの指導者の先生方に囲まれておられました。
 

お金、名声、権力への無関心

 
 私は、鈴木先生ほど真っ直ぐな方に出会ったことはありません。先生は本当に自分に正直で、すべての人を信頼しておられました。偽りとは無縁の方でした。頼まれれば、書類を読まずに何にでも署名なさいました。誰かが署名を求めれば、「はい、どうぞ」と先生は差し上げました。あらゆる許可を与えられた鈴木先生の署名つきの紙をもった教師が、世界中にたくさんいるわけです。
 
 先生が、主義や関心について文章にされたものは、一切お金目的ではありませんでした。
  レジナルド・ブライスによれば、「詩、自然、音楽を深く愛すると、それに相応して、人は、お金、名声や権力に無関心になる」
   鈴木先生は笑ってこう言われたものです。
「時は金なり」
   先生は、自分自身を始め、あらゆることを笑い飛ばせる方でした。
 
 先生の奥様はこう書いておられます。「主人はお金のことを心配したことがない」
 その本の中で、彼女は、結婚したての貧しい頃のことをこう書いておられます。「第一次世界大戦を経験した私と違って、彼はお金がいつもそこにあるかのように過ごしていました。彼はいつもタクシーを使っていたのです」
 そして続けてこう書いておられます。「彼は最後のお金までタクシーに使ってしまったので、それを責めると、笑って兄弟のところにお金を借りに行きました」
 

ホワイト・ハウス

 
 10人の素晴らしい子どもたちによるスズキ・メソードの演奏旅行は、海外でも行なわれました。先生が、ワシントンで起こったことを笑いながら話してくださったことがあります。さよちゃんという子が、11歳のエイミー・カーターとホワイト・ハウスで演奏するよう依頼を受けました。スズキ・メソードで学んでいたエイミーという女の子は、アメリカ合衆国のカーター大統領の娘です。私が初めてさよちゃんの演奏を聴いたのは、彼女が4歳の時、ドヴォルザークの「ユーモレスク」の見事な演奏をした時でした。ホワイト・ハウスに招かれた時、彼女は上級レベルの演奏者になっていました。
  「エイミーと2曲くらい弾いて欲しい」と言われていた彼女は、10冊ある指導曲集のうちのどの曲か、もしくは追加で与えられる曲かも分からないので、一日中練習し、他の子どもたちとの観光にも行けませんでした。彼女は時間通りにホワイト・ハウスに向かったところ、曲目は指導曲集第1巻の最初の2曲だったそうです。
 
 先生は、1978年3月にカーター大統領にあてた文書の写しを見せてくださいました。
 その前文は、0歳から10歳までの子どもを育てる国家政策設立の嘆願書の土台となっています。
 
 大統領殿、並びに国会議員の皆様、皆様方が世界の平和と全人類の繁栄にご注目してくださることに、心から感謝いたします。
 様々な国が軍隊を保持し武力を増強しつつあることを、残念に悲しく思います。地球上のどこかで、絶え間なく、戦い殺し合っている国々があります。私たちは古代からずっと同じことを続けてきました。数多くの立派な人々が、自らを捧げ、世界に平和をもたらそうと努力してこられました。にも拘わらず、世界は何一つ変わっていません。今でも、昔と変わらず、悲しい状況にあります。
 
なぜでしょうか?
 
 一番基本にある原因は、世界中のほとんどの子どもたちが、極めて重要な0歳の年齢から、なんの教育も受けていないからです。私たちは、子どもたちの運命を形成していくことができるのです。人々を、美しい心の持ち主にも、獣のように野蛮な心の持ち主にもできるのです。しかし、この事実を理解している人は、ほとんどいません。
 
 世界の常識は、「私たちの心や能力は遺伝によるものだ」という誤った信念を私たちに植え付けています。この誤った信念は、今でもまだ信じられていますが、人類の大きな過ちと言えましょう。
 
 私は、世界中のどの子も、母語以外の能力においても、卓越した成長を遂げる可能性を持っていることに気づきました。それは、教育方法次第なのです。
 
 その秘密は「母語教育法」にあります。これは、私たちの目の前で証明されてきた純然たる事実です。世界中どの子も素晴らしく育つことができるのです。正しい方法さえ使えば…。
 
 どの子の心も能力も、どのように育てはぐくまれるかによって形作られていくのです。0歳から育てていく手法は、赤ん坊が優れた人になるか、劣ったひとになるか、美しくなるか醜くなるか、高潔になるか卑劣になるかを左右していきます。私は、子どもたちはそのどれにでもなれることを学びました。…… 一度、20年ほど前のことですが、私はある真夜中に、間違った育てられ方をしたために悲しい状況にいる地球上の赤ん坊のことを思って、涙が止まらなくなったことがあります。
 
 その教育計画は、この後に概説されています。新生児が生まれたどの家庭にもアドバイザーが訪問し、どのように子どもを教育するか、どうやって健康を維持するか、どのようにして「立派な人間に育てるか」について、親は指導を受けます。訪問する専門職の者は、5年の間、子どもの成長を見守ります。もし家族が貧しくて教育を与えられなければ、政府の援助が与えられるべきです。
 
 議員たちの反応は、おそらく様々だったことでしょう。中には、それを悲しげに切望する思いを抱いた人もいたでしょうが、全員が瞬時にどれほど膨大な費用がそのような計画にかかるのかと考えたことでしょう。国防に必要な費用と心の中で秤にかけていた人もいたかもしれません。鈴木先生の、正直さ、熱心さ、誠実さは、巨大なドルに支配された場所に、哀れみの種を植えることを、疑いなく切望しておられました。もちろん、鈴木先生は正しかったのです。
 
 そこがユートピアならば、先生の提案は上手くいったのでしょう。
 
 この本を読む人はみんな、異なる感想を持ちます。どの聴衆も音楽の演奏をそれぞれ好きなように聴き、解釈します。カーター大統領と議会は鈴木先生の発する言葉を、皆それぞれ同情の意を持って聞きました。しかしながら、いつの時代、どの国においても、政治家というものは、0歳からの教育よりは国防にお金をかけようとするのでしょう。
   鈴木先生の熱意に対し、この提言は拍手喝采を浴び、そして忘れ去られたのです。
 

アウトー!

 
 先生は、ヴァイオリンを弾かれるときは、「運動と同じように、身体全体で弾くように」と言われました。そして野球の投手の真似をしてみせてくれました。それは素晴らしい動きで、最後には笑いがついてきました。
 
 テレビでの野球の試合中継は(当然ですが)日本語ですが、アナウンサーの言葉が英語に切り替わる時があります。「ストライク・ワン!ストライク・ツー!ストライク・スリー!アウトー!」
  鈴木先生は、小さな生徒が正確に弾けると、「ストライク」と仰ることがありました。
 
 松本では、レッスンの途中に先生が出ていかれ、私たちは先生が相撲の試合を見て戻ってこられるまで待たねばならないこともありました。先生は、この大男たちの格闘を見るのが大好きでした。私もたいへん面白いと思いました。先生の小柄な体格とは、とても対照的でした。
 
 先生は、ヴァイオリニストのお腹は固くなければならないと言われ、弾いているご自分のお腹を私に殴るように仰いました。もちろん、鈴木鎮一先生のお腹を殴ることなど、頼まれてもできるわけがありませんね。 

(パタソン真理子訳 次号に続く)

ロイス・シェパード先生の略歴

 

 オーストラリアのヴァイオリンとヴィオラの指導者であり、スズキのティーチャートレーナー。スズキ・メソードをヴィクトリア州に紹介し、スズキの協会(現在のスズキ・ミュージック)を設立。
 ニューサウスウェールズ音楽院及び松本市の才能教育音楽学校を卒業。シドニー交響楽団のメンバーを務める。また、ニューサウスウェールズやヴィクトリアの数々の学校で教鞭をとる。長年、オーストラリア音楽検定委員会の試験官、ヴィクトリア州立大学の幼児教育の学会で講師を務める傍ら、メルボルン大学の音楽院でヴァイオリンとヴィオラを教える。一時期、アメリカの西イリノイ大学のヴィオラ科教授兼スズキ・プログラムの理事を務める。
 1960年代前半より、スズキ・メソードでの指導と研究を続けてきた。
 ロイス先生は、プロの演奏家を育てることを目的とはしなかったが、その生徒の多くが、シンフォニーオーケストラのメンバーや室内楽奏者、また、スズキの指導者になっている。これまでの生徒は、メルボルン大学、ボストンのニューイングランド音楽院、ニューヨークのジュリアード音楽院、南イリノイ大学、ミシガン大学、ロンドンの王立音楽院などの高等教育機関への奨学金を得ている。また、多数の生徒がメルボルンの私立学校の音楽部門の奨学金を得ている。メルボルンの生徒への指導並びに指導者への指導を続けて、現在に至る。
 ロイス先生の長男は現在、IT企業で活躍中。長女は松本で鈴木鎮一先生の下で研鑽を積み、現在、ドイツでヴァイオリンとヴァイオリンの指導法を教えている。2人の孫がいる。