オーストラリア在住のヴァイオリン・ヴィオラ科指導者、ロイス・シェパード先生のご著書「鈴木鎮一先生の思い出」日本語訳の連載第17回です。第9章「大事にしている思い出」です。この章は他に比べて大変短いですが、その分、ロイス先生の思い出が凝縮されているようです。
第9章 大事にしている思い出
鈴木先生はレッスン前の研究生を待っている間、時々ヴァイオリンを弾いておられることがありました。先生がよく弾いておられた曲はホイベルガーの「ミッドナイトベル」という曲で、最近ではあまり弾かれることのない曲です。先生はクライスラーの表現方法を見事に模倣されていました。水みずしい音の質感、特に作曲家が“ためらいがちに”と示した部分の拍子感に富んだ弓さばきのルバート。
※編集部註:リヒャルト・フランツ・ヨーゼフ・ホイベルガー作曲 ミッドナイトベル ~ 喜歌劇「オペラ舞踏会」Op. 40 - 第3幕より(編曲:F. クライスラー)
こういった類の出来事は、今でもしっかり覚えています。
私が教室に入ると鈴木先生は顔を上げ、曲を弾いたまましみじみと私の顔を見つめ私の方に近づき、もう一歩近くに踏み出したところでヴァイオリンを下ろされます。そして静かに微笑まれ、「こうして私も勉強しました」とおっしゃるのです。そして部屋の隅に戻って椅子の隣に置いてあるヴァイオリンケースに慎重にヴァイオリンを戻し、その椅子にゆったり座り、タバコに手を伸ばし、頷きながらくつろがれるのです。「そう!そしてどの子も育つんだよ」先生はタバコに火をつけ一瞬目を閉じ、深く息を吸い込み、少し前のめりに座り直されます。これで鈴木先生はその日の気配りに満ちたレッスンをお始めになる準備ができたのです。
先生は録音された曲の模倣の仕方を教えるために、パブロ・カザルスの弾くゴダール作曲の「ジョスランの子守歌」のレコードをかけ、カザルスより2拍子遅れて音色を模倣してくださいました。「真似だよ、真似。でもそっくりそのまま真似をするというのはそう簡単なことじゃないです」
訳者:市村旬子
※編集部註:チェロ科の古い指導曲集の第3巻には、「ジョスランの子守唄」が収録されており、スズキ・メソード出身のチェリスト遠藤真理さんは、この「ジョスランの子守唄が特に大好きでした」と以前のインタビューでおっしゃっていました。
ロイス・シェパード先生の略歴
ニューサウスウェールズ音楽院及び松本市の才能教育音楽学校を卒業。シドニー交響楽団のメンバーを務める。また、ニューサウスウェールズやヴィクトリアの数々の学校で教鞭をとる。長年、オーストラリア音楽検定委員会の試験官、ヴィクトリア州立大学の幼児教育の学会で講師を務める傍ら、メルボルン大学の音楽院でヴァイオリンとヴィオラを教える。一時期、アメリカの西イリノイ大学のヴィオラ科教授兼スズキ・プログラムの理事を務める。
1960年代前半より、スズキ・メソードでの指導と研究を続けてきた。
ロイス先生は、プロの演奏家を育てることを目的とはしなかったが、その生徒の多くが、シンフォニーオーケストラのメンバーや室内楽奏者、また、スズキの指導者になっている。これまでの生徒は、メルボルン大学、ボストンのニューイングランド音楽院、ニューヨークのジュリアード音楽院、南イリノイ大学、ミシガン大学、ロンドンの王立音楽院などの高等教育機関への奨学金を得ている。また、多数の生徒がメルボルンの私立学校の音楽部門の奨学金を得ている。メルボルンの生徒への指導並びに指導者への指導を続けて、現在に至る。
ロイス先生の長男は現在、IT企業で活躍中。長女は松本で鈴木鎮一先生の下で研鑽を積み、現在、ドイツでヴァイオリンとヴァイオリンの指導法を教えている。2人の孫がいる。