オーストラリア在住のヴァイオリン・ヴィオラ科指導者、ロイス・シェパード先生のご著書「鈴木鎮一先生の思い出」の連載第28回。いよいよ、最終章の第13章「最終章」になります。今も続く鈴木先生を深く敬愛されるロイス先生のお気持ちが文章のあちこちに見られます。

第13章 最終章

 
 何万もの人たちにスズキの先生としての生涯を与え、何百万もの子どもたちとその親に喜びを与えたその人がどのような方だったのかを、この回顧録でお分かりいただけたらと思います。
 
Character first, ability second.
一に人物、二に技量
 
 上の引用文は鈴木先生が青年の時に通っていた商業高等学校の標語です。先生はこの言葉を、自分自身の教育理念を表すのにふさわしい言葉として取り入れました。
 

I respect all living things.  
すべての生命への畏敬を
 
Do not hurt anybody’s heart. 
誰の心も瑕つけず
 
What is man’s ultimate aim in life? 
人生の最高の目的とは?
 
It is to look for love, truth, virtue and beauty. 
それは、愛と、真、善、美の追求。
 
 良い人間、プロフェショナルの音楽家ではなく、音楽を愛する人々を作り出すというその願いにもかかわらず、鈴木先生は世界の音楽教室をずば抜けた教師でいっぱいにし、各地の交響楽団を有能な演奏家でいっぱいにしました。コンサートホールは見識のある聴衆で溢れていたことは言うまでもありません。
 
 私が初めてスズキ・メソードをメルボルンで導入した時には多くの注目を浴び、親の会や音楽教師、幼稚園などへの講演会へ招かれました。その中にはただ口論をしに来たような人たちもいました。音楽教師たちは「才能は生まれつきではない」という事実を受け入れるのを拒否し、ましてや日本から来た教授法など聞きたくもないという姿勢でした。時には日本の捕虜収容所の話を持ち出す聴衆もいました。
 
 習う曲を録音して聴かせるという概念は、当時革命的なものでした。「先生が授業でお手本を弾くことの何が悪いの」という議論も持ち上がりました。
 
 「すべての音楽教師がクライスラーのように弾けるわけではないかもしれないですよね」と答えたものでした。
 
 今ではクラシックに限らず、ジャズやその他のどの楽器の教本にもCDがついてくるのは、すっかり当たり前になりました。
 
 ではモーツァルトのような音楽家は録音された曲を聴く機会などなかったのに、どのように音楽を学んだのでしょうと聞かれたことがありました。もちろんそのような昔の偉大な音楽家というのは音楽に囲まれて育ったのです。
 
Outstanding musicians like Bach, Beethoven and Mozart were all raised in outstanding musical environments, and went through physiological adaptation in the areas of intelligence, sensibility and music.
 バッハ、ベートーヴェン、モーツァルトなどのすぐれた音楽家たちみな、それぞれすぐれた音楽環境の中に育てられ、インテリジェンス、センス、音楽に生理的適応の行なわれた人びとであると思う。
 
 そしてまた当時の音楽教師たちは生徒たちに最初に楽器の弾き方を教え、後から楽譜の読み方を教えるべきだという考えについていけなかったのです。昨今でさえ、スズキ・メソードの生徒は楽譜の読み方を教わらないというそんな昔の批判がちょくちょく持ち上がります。数年前に私の生徒がメンデルスゾーンの協奏曲をオーディションで弾いたことがありました。そして審査員がその生徒に楽譜が読めるのかどうか尋ねました。こんな複雑な曲を楽譜の助けを借りないで弾けるというのはなんと素晴らしい能力でしょう。
 
 そして幼い子どもに母語を話し始める前に読み方を教えるというのは馬鹿げた話ではないでしょうか。それに加えて言うと、7歳以下の平均的な子どもは楽譜を読むために目を横に動かすという動きが上手くできないのです。ですから楽譜を読ませるのはそのくらいの年齢になるまで遅らせた方がよいということです。7歳くらいの多くのスズキ・メソードの生徒はすでに上級の演奏者になっています。
 
 日本では文部省が、すべての学校にきちんと計画を立てられた音楽の授業を取り入れています。数年前のカリキュラムの概要には小学1年生の授業は算数と同じだけの時間数がとられています。私が手に入れた幾つかの音楽の教科書の中に小学校の教科書があるのですが、1年生から2年生は楽譜の読み方と打楽器とキーボードの弾き方の指導が盛り込まれています。鈴木先生がお作りになられた楽譜の教本はそもそもスズキの親御さんを助けるための物です。
 
 私が初めてスズキ・メソードをヴィクトリア州に導入した当初は、音楽教師や親たちは理解しないのではないかと懸念しました。このことを友人の音楽教師(ホバート在住のピーター・コモロス。オーストラリアにおけるスズキ・メソードの先駆者)に相談してみたところ、どんなことでも鈴木先生の教えのポジティブな面、美しい音色の追及、親のサポート、音源付きの良く考えられた指導曲集などがあれば、今までより良い結果が得られるのではないかと合理的に考えることしました。
 
 私はメルボルンの音楽教師たちをスズキ・メソードの第一期生で驚かせました。それまでは数名の教師が小学1年生を教えていただけでした。ヴィクトリア州の公立の学校に通う大部分のヴァイオリンの生徒は専修学校に通う生徒で、14歳頃からヴァイオリンを習い始めていました。
 
 つい最近、友人に「どのようにしたら、そんなに鈴木先生と過ごした時間を鮮明に覚えていられるのか」と聞かれました。鈴木先生のカリスマ性、優しい温かみ、いつでも変わらない親しみやすさはそう簡単には忘れることはできません。私がこの本を書き始めた時は多くの思い出がよみがえりました。書き直しをするたびに、より多くの記憶が思い返されました。鈴木先生がもう私たちの側にいらっしゃらないという深い悲しみに暮れてしまうこともありました。私は鈴木先生と過ごした時間に感謝し、鈴木先生の教えを子どもたちと音楽とともに伝え続けられることが幸せです。
 
 スズキ・メソードは日本や海外で音楽家や教育者、政治家から褒め称えられました。人生を捧げてクライスラーやカザルスの音に近づけるように生徒を指導した一人の先生に敬意を表しに、著名な演奏家たちが日本を訪れました。
 
 松本を訪れた人たちにはヴァイオリニストのユーディ・メニューイン(ニューヨーク生まれ。1916〜1999)やダヴィッド・オイストラフ(1908〜1974)、フルート奏者のマルセル・モイーズ(1889〜1984)などがいました。でも鈴木先生にとって究極の喜びだったのは何といっても1961年のチェロ奏者パブロ・カザルスその人の訪問だったに違いありません。当のマエストロは子どもたちのヴァイオリンとチェロのコンサートでおもてなしを受けました。
 

カザルスは感極まり、鈴木鎮一先生の肩を抱いた

 鈴木先生は、そのコンサートとそれを聴いたカザルスが英語でスピーチしているテープをくださいました。感泣しながらこの素晴らしいチェロ奏者は、教師や生徒の親を賞賛しました。大人がこの子どもたちのような幼い時期から、音楽を通して「高い心」と「高貴な行ない」を教えるというのは何と素晴らしいことでしょうかと。

 彼はこう続けました。
 「音楽は、ダンスするためのものではなく、また、小さな快楽を求めるためのものでもなく、人生にとって、もっとも高いものです。おそらく、世界は、音楽によって救われるでしょう」
 
 パブロ・カザルスの締めの言葉を聞かれた鈴木先生の心情を想像するのは容易いことではないでしょう。
 
 「日本は行動・産業・芸術の面で偉大であるばかりでなく、日本は〝心の心である〟ということです。そうしてこの心は、いま人類がなによりも第一に……第一に必要とするものであります」
 
 テープからは会場で16分の1サイズのヴァイオリンを使っているヴァイオリニストがキラキラ星の最初のリズムでミの音を練習する音が聴こえてきました。
 
※編集部註 カザルス来日時のメッセージの全文と録音は、チェロ科公式サイトでご確認いただけます。
 →チェロ科公式サイト
 
 松本を訪れた日本人音楽教師の中には鈴木先生に跪いて床に頭をつけて座礼をしている人たちもいました。私も精神的に同じことをしています。この非凡で、優れた、穏やかで、子どもっぽさも残した、決して疲れを見せない、真摯で、思慮深く、ひたむきで、辛抱強く、直観的で、広い心の、控えめなこの紳士は、愉快にそして粛々と音楽教育の世界をひっくり返したのでした。
 
私は深く頭を下げます。

 
訳者:市村旬子

ロイス・シェパード先生の略歴

 

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 オーストラリアのヴァイオリンとヴィオラの指導者であり、スズキのティーチャートレーナー。スズキ・メソードをヴィクトリア州に紹介し、スズキの協会(現在のスズキ・ミュージック)を設立。
 ニューサウスウェールズ音楽院及び松本市の才能教育音楽学校を卒業。シドニー交響楽団のメンバーを務める。また、ニューサウスウェールズやヴィクトリアの数々の学校で教鞭をとる。長年、オーストラリア音楽検定委員会の試験官、ヴィクトリア州立大学の幼児教育の学会で講師を務める傍ら、メルボルン大学の音楽院でヴァイオリンとヴィオラを教える。一時期、アメリカの西イリノイ大学のヴィオラ科教授兼スズキ・プログラムの理事を務める。
 1960年代前半より、スズキ・メソードでの指導と研究を続けてきた。
 ロイス先生は、プロの演奏家を育てることを目的とはしなかったが、その生徒の多くが、シンフォニーオーケストラのメンバーや室内楽奏者、また、スズキの指導者になっている。これまでの生徒は、メルボルン大学、ボストンのニューイングランド音楽院、ニューヨークのジュリアード音楽院、南イリノイ大学、ミシガン大学、ロンドンの王立音楽院などの高等教育機関への奨学金を得ている。また、多数の生徒がメルボルンの私立学校の音楽部門の奨学金を得ている。メルボルンの生徒への指導並びに指導者への指導を続けて、現在に至る。
 ロイス先生の長男は現在、IT企業で活躍中。長女は松本で鈴木鎮一先生の下で研鑽を積み、現在、ドイツでヴァイオリンとヴァイオリンの指導法を教えている。2人の孫がいる。