東 誠三先生の基調講演

 

 皆様、こんにちは。ここ、スズキ・メソード発祥の地である松本での第3回国際ティーチャー・トレーナー会議にようこそおいでいただき、ありがとうございます。皆様の中には、本当に久しぶりにお会いする方もおられれば、初めてお会いする方もおられます。ごく簡単に、なぜ私が今日この大切な会議の冒頭でお話しさせていただくことになったのか、自己紹介を兼ねて、手短にお話ししましょう。

 私は父の転勤により、この松本に5歳から10歳まで暮らしました。誰一人として頼る者のいないこの松本の地に、引っ越しのわずか10日前にそれを知らされた、10歳の姉と5歳の私を連れた母は、恐らくその引っ越しの準備のためのわずかな時間の中に、「松本にある評判の音楽教室」のことをどこかで聞きつけたのでしょう。松本へ引っ越しして、姉の小学校と私の幼稚園が決まると、すでに音楽に興味を示す兆候を見せていた私を、「鈴木先生の教室」に、見学に連れていきました。
 
 当時、才能教育会館は竣工からそれほど時間も立たず、多くあった教室は、鈴木先生のお弟子さんの若い先生たちのレッスン場として多くの生徒が通い、活気にあふれていました。母は最初、私にヴァイオリンを習わせるつもりだったようですが、会館に来てみると、そこにはピアノの教室もあることがわかりました。ひと足先にピアノを習い始めた姉が早々にギブアップしたため、私の家にはアップライトピアノがありました。考えると贅沢な話ですが、88鍵ある本物のピアノを(おもちゃのピアノではなく)、半ば遊び道具として好きな時に触れた私は、大変幸運だったのかもしれません。私がピアノという楽器をかなり気に入っていたことを知っていた母は、評判のヴァイオリンだけでなく、「ピアノも習わせてみよう」と思ったようでした。こうして私のスズキ・ライフは始まりました。
 
 その時から、長年お世話になった片岡ハルコ先生は、スズキ・ピアノの教本を、鈴木静子先生や青木章子先生とご一緒に立ち上げられた、スズキ・ピアノ生みの親の一人です。その後、詳しくは省きますが、私は音楽を専門に勉強する道を歩み、フランスのパリ国立高等音楽院に留学し、卒業後は 演奏者として、また自分より若い人たちと音楽の演奏法や指導法を一緒に勉強するために、国際スズキ・メソード音楽院でのスズキの指導者養成、東京藝術大学や東京音楽大学での、音楽家を目指す生徒たちの指導などに携わってきました。今現在も、様々な形態での演奏とともに、これらの活動を続けています。ここに集まられた、ピアノ科の先生方には、スズキ・ピアノブックスのCD演奏者として、またチェロの先生方には、スズキ・チェロブックスの4〜8巻の演奏者である堤剛先生の伴奏者として、多少は私の名前を見た方がおられるかもしれません。
 さて、それではそろそろ本日の主題に入って参りましょう。
 

スズキの教育とは何か?

 
 本日お集まりになられた先生には、今さら何もお話しすることがないほど、多くの実践と体験を積まれた方たちばかりだと思いますので、そのような皆様の前でお話しするのは大変おこがましいことなのですが、狭い音楽の社会とはいえ、幸い様々な場を見聞きしてまいりましたので、その中から思いついたことを少しお話しさせていただきたいと思います。
 
 スズキで提供すべき教育の、長期的な時間の経過の中での目的・目標として、次の点が挙げられると思います。
◼️音楽の実践を通して、音楽で表現された様々な事柄を感じ取れるようになること。
◼️母語言語とともに、もう一つの精神世界を自己の意識、感覚の中に形成していくこと。
 これらのことは、音楽を長期間にわたって勉強し、楽器の演奏(声楽も含め)を習得していくことの大きなメリットと言えると思います。それとともに、スズキ・メソードの理論や実践と密接に結びついているのは、より短・中期的な教育目標、課題に関する事柄だと思います。それらは、
◼️小さな課題からスタートして、その一つひとつを必ずできるようにすること。できるようになる過程を指導者と生徒がともに歩むこと。ともに歩む過程の中で、スズキの指導者は最善の伴走者であり、メンター(信頼のおける相談相手)であることを目指すこと。
◼️能力開発を常に行なっていることを自覚すること。能力=いつでも使える、取り出せる能力を養うこと、それは単なる知識とは違う。
◼️できるようになることをより多く体験させること。
 
 多く体験させることによって、繰り返しや、一つのことをイメージを持って継続して行なうと生じる自身の感覚・体内・意識などの変化を明確に自覚することができます。この体験が、自身で前に歩んでいく力、自分自身に働きかける力、すなわち「生きる力」を作っていく、と言えます。
 
 また、さらに短期的に期待できる教育効果や作用として、練習の過程の中で、繰り返しによって得られる、勤勉でいることの実感、音を聴くことによって得られる集中をしていることの実感、などが挙げられます。また、合奏で得られる、他者と協力しながら一つのことを作り上げる実感、音の持つ共鳴の力の実感、音楽そのものが持つ魅力や力への実感、などが挙げられます。スズキ・メソードで鈴木鎮一先生の理論と実践の記録をもとに注意深く指導を行なえば、大・中・小、様々なこうした場面に遭遇することでしょう。それは単に優れた方法論を確認して悦びに浸るだけでなく、人間という生命体の持つ可能性への理解や畏敬、及びその先に広がる景色を想像させる、という効用をもたらすものだとも言えます。
 

 このように、音楽という一つの表現体系を用いて教育を継続、深化させていく中で、それぞれの段階で「実感」を仲介とした、理解、変化が如実に感じられることが、学校教育の中でのいわゆる座学とは、最も異なる特長(アドバンテージ、メリット)であると言えます。似たような教育効果が期待できるものにスポーツという分野があることが広く知られていますが、スポーツと音楽の共通点は、どちらも身体運動を伴うので、運動系の機能のコントロールが必要となることであり、相違点は音楽の方が、より広い美意識と、感情の変化を表現する各種の繊細な能力が必要な点でしょう。楽器(声楽では肉体そのもの)をいわば道具として、人間の感じうるほとんどすべての現象を表現できる音楽は、人間の持つ能力を総合的に働かせて作り上げる作業・行為であり、この総合的な働きを開発できるところに、音楽教育の大きな特長があります。楽器を扱うことによって、感性(五感)及び感受性を育てる。これは聴覚を最大の仲介者として、主に触覚と体性感覚を、さらに学び(観察力)のツールとして視覚も育てることができますし、より良い表現の領域に入ると、味覚や嗅覚までも使うことが可能です。

 感性(五感の働き)を活性化させることは、脳の働きを活性化させることにつながります。それはおそらく、より豊かさの感じられる人生への確かなツールとなることでしょう。音楽(楽器を扱うこと)は常に体の実感を伴う行為です。そして、それと同時に、美意識を大きく働かせる行為です。これが、学校教育の単元である、座学全般や体育との差だと思います。同時に、人間の能力=脳の働きのかなりの領域を使っているのです。
 
 レッスンを通して、具体的な小さな取り組みを実現させていく過程を、実践しながら学び身に付ける、その過程には指導者のスキル、能力、人間性が非常に重要な意味を持っています。それらのスキルや、指導する能力は、理論を勉強するだけでなく、実際の指導の経験から得られることも大きいのは、皆様ならよくご存知のことでしょう。演奏という行為の中で良い結果を産むためには、個人的な(ソロの演奏)分野であっても、アンサンブルの分野であっても、自己の中で、または他者との間で高度な調和させる力や協調性が発揮される必要もあり、そのようなことを、やはり段階的に体感しながら学んでいける音楽は、教育ツールとしても一つの理想に近いということができます。鈴木鎮一先生はその点に早くから着目されて、主にヴァイオリンの教育を通してその実践の方法と、プロセスの解析、様々な要素の相関関係、この分野に携わる者(音楽を通して教育を実践しようとする者)の理想を常に提示し続けて来られました。今回このTT会議に集まられた方はすでによく理解、実践しておられると思いますが、我々は、それらの鈴木鎮一先生が体系化された方法や考え(アイディア)を受け継ぎ、日々変わりゆくさまざまな状況と適合させつつ、できればより良い形で次の世代へ引き継いでいくことが責務とも言えます。
 
 音楽には、「感動」という情動を起こす力があります。この科学的に解明され尽くしたとは言いがたい精神現象を、さまざまな形で体験できる(ある時は高揚であり、ある時は深い悲しみであり、ある時は、それらを超えた「名状しがたい何か」としか言いようのない感覚です)のが音楽です。「感動」は人間を浄化します。浄化された人間の心は素直に謙虚になれます。謙虚になれれば、他者へのリスペクトが自然に生まれます。究極的には、この精神をより幅広く実現・実践できる人間を目指して、成長していくことが最も大切なのではないかと思えます。それがおそらく鈴木鎮一先生が目指された、あの有名なカザルス先生との抱擁の場面を通じて先生が心の中に描かれた、先生の理想の一つなのではないかと思えるのです。我々が日々行なっているレッスンの一瞬一瞬は、2度と同じ場面が訪れることがない、固有の、かけがえのない時間であることを忘れずに、今日ここに共に会した我々から、引き続きこの精神を続けて究めていくことを、そしてその精神と実践の方法を続く世代の人たちとともに探求していくことを、はっきりと確認する3日間になることを願っています。皆さん、松本の素晴らしい空気を吸って、そして美味しい食べ物を味わいながら有意義に過ごしましょう!どうもありがとうございました。