かつて機関誌No.184の「先輩こんにちは」にも登場されたピアノ科出身の相澤美智子さん(一橋大学大学院法学研究科准教授)から、興味深いレポートが届きました。ご自身のピアノ科での体験に始まり、現在、ヴァイオリン科で学ぶ娘さんの様子など、モーツァルトのコンチェルトを軸に展開されています。
モーツァルトのコンチェルトへの挑戦
相澤美智子(ピアノ科OG、ヴァイオリン科生徒母)
はじめに
モーツァルトのコンチェルトを聴いた最初の記憶は、小学校2年生が終わる3月のことだ。当時、私は8歳。スズキ・メソードに入会して4ヵ月ほどした頃のことで、東海地区のピアノ科卒業式でピアノ・コンチェルト第26番「戴冠式」の第1楽章が演奏された。このときは、オーケストラはなく、ピアノ伴奏で第1楽章のみの演奏だった。「1楽章の演奏だけで15分近くもかかる曲とは凄い」と思ったことだけは覚えているが、それ以外の記憶はない。それから3年後の東海地区ピアノ科卒業式で、私自身が同じ「戴冠式」のソロを演奏させていただくことになろうとは、想像もしなかった。
私がモーツァルトのコンチェルトを本気で弾いたのは、卒業式でソロを代表で演奏させていただくために練習をしていたときである。2度目にモーツァルトのコンチェルトを本気で弾いたのは、自身の「戴冠式」から2年後、妹の「戴冠式」の伴奏をしたとき。しかし最近、そのときよりも一段と本気になってモーツァルトのコンチェルトに取り組む機会があった。ヴァイオリンを学ぶ娘の卒業録音のためにコンチェルトの練習をしていたとき、そして、それに続くDuoのパートナーとのコンチェルトの演奏の準備をしていたときである。
③娘のためにヴァイオリン・コンチェルト第4番の伴奏をする
妹の「戴冠式」の録音を終え、私自身もピアノ科の最後の課題曲であったベートーヴェンのソナタ「熱情」の録音を終えた半年後、父の転勤で外国に行くことになり、細田先生の下を離れた。ピアノは、その後も好きで弾いていたが、コンチェルトを弾きたいと思ったことはなかった。
その後、結婚し、かなり遅がけに子どもを授かり、子どもができたら習わせたいと思っていたヴァイオリンを習わせることができた。もちろん、スズキ・メソード以外の方法は考えていなかった。スズキ・メソードのヴァイオリン科の卒業課題曲が何かを調べ、モーツァルトのコンチェルトも入っていることを知った。才能教育課程卒業にあたっては、モーツァルトのコンチェルト4番と5番を両方練習し、そのうちの1曲を選択して録音すること。これを知ったとき、「もしかしたら、将来、娘の伴奏をするためにモーツァルトのコンチェルトに再び挑戦することがあるかもしれない」とは思った。しかし、リズムやタカタカタッタを何ヵ月も練習している娘がモーツァルトのコンチェルトを弾く姿は、どうがんばっても想像できなかった。
2016年の夏期学校で親子共演が実現。この時はバッハのa-mollの第3楽章を演奏した。実に32年ぶりの才能教育会館ホールだった ヴァイオリンは分数楽器もあるので、ピアノよりも早くに始められると思っていたところ、娘が2歳4ヵ月のときに、ご縁あって、関東地区ヴァイオリン科指導者の古谷達子先生のクラスに入れていただくことができた。その後、娘が8歳のときに関東地区ヴァイオリン科指導者の青木博幸先生のクラスに移り、現在に至っている。青木クラスに移った頃、娘は9巻のコンチェルト第5番の第3楽章を勉強しており、間もなく10巻のコンチェルト第4番を練習するようになった。そのような経緯もあり、娘の才能教育課程卒業にあたっては、コンチェルト第4番を録音することになった。
娘をご指導してくださっている青木博幸先生は、スズキ・メソード・ピアノ研究グループを立ち上げられ、その発展にご尽力された故・青木謙幸先生と関東地区ピアノ科指導者であった故・青木章子先生のご子息である。先生は、私がピアノ科OGであることをお知りになり、「真希子ちゃん(娘)のコンチェルトの伴奏は、ママにしてもらいましょう」とおっしゃった。録音のためにピアノの先生に伴奏をお願いすることは、まったく考えていらっしゃらないようだった。こうして、私の音楽人生において、モーツァルトのコンチェルトに取り組むという機会が、今一度訪れた。
フルタイムの職業を持ちつつ、子どもを育てている私にとって、ピアノの練習時間を捻出することは、決して容易ではない。心の赴くままにすれば、ピアノのための時間を作ることは簡単である。大人になって、子どものとき以上にピアノと接している時間が好きになった。ピアノを弾き始めると、寝食を忘れ、お手洗いに立つのも煩わしくなるほど、没頭してしまう。しかし、一方で、仕事の進捗を気にし始めると、ただでさえ育児に時間をとられているので、そのうえに趣味のピアノの練習をしようという気分には、なれなくなる。青木先生に娘のコンチェルトの伴奏をお願いされて、最初は自分の心が「時間ないんだけれどなぁ…」という気持ちと、「でも、娘と一緒にコンチェルトを弾けるというのは、そうあることではないし」という気持ちの間で揺れ動いた。しかし、消極的な気持ちと何とか折り合いをつけて曲に向かったら、結局、のめりこんでしまった。
その娘とのコンチェルトも、数ヵ月前に無事終わった。そして、録音終了までの過程において、私はまた、多くの勉強をした。そのきっかけは、青木先生のひと言だった。「スコアを見て、オーケストラのどの音がピアノ譜に反映されているかを確認し、その音をピアノで再現できるように」。
かつて妹と合奏したときには、とにかく人と一緒に演奏できることが楽しかった。合奏の経験がしたいという気持ちが一番強かった。そのほかに意識したことといえば、オーケストラの低音域に相当するピアノの左手の音をしっかりと鳴らし、曲全体を土台から支えることくらいだっただろうか。ところが、今回は、「オーケストラの音をピアノで再現する」という課題を与えられた。この課題をどう克服するか、私の探求が始まった。
録音にいたるまでの間に、私自身が専門家のレッスンを何度か受けた。青木先生には、娘の録音前の数週間、娘のレッスン時に私も一緒にピアノを弾くという形でレッスンを受けた。ヴァイオリンと合わせる際の注意点を教わった。また、プロの指揮者のレッスンも受け(このときは、ヴァイオリンを、後述するDuoのパートナーに演奏してもらってレッスンに臨んだ)、音楽全体の作り方を教わった。印象的だったアドバイスは、「モーツァルトの音楽にはよどみがないので、第1楽章の最初の1音で演奏全体が決まる。だからこそ、第1音に全神経を使って」だった。さらに、かつて――2012年に行なった私と私のパートナーのDuoリサイタルの前に――足繁くレッスンに通ったピアニストにも、今回再び教わることができた。いまは先生が大変にお忙しくなられたため、基本的にアマチュアのレッスンは引き受けてくださらないが、今回は特別に第1楽章だけレッスンをしていただけた。1楽章のオーケストラの前奏部分の冒頭のファンファーレ的な箇所をどう奏でて曲を始めるか。第1主題を躍動的に弾くにはどうすればよいか。第2主題を経てヴァイオリンのソロが入る前のフルオーケストラが再び鳴る箇所(ここは、1楽章のオーケストラ後奏部分と同じ)は、どう弾けば、フルオケがソロを引き出すような音になるか。ソロが入った後の伴奏は、どう弾けば、ソロとの一体感が出るか。教わったことは数限りない。とはいえ、ピアノでオーケストラの音を再現するという、今回の私の目標は、具体的にどうすれば達成できるのか、その点について直接的なアドバイスをいただけたわけではなかった。
その頃、出張で名古屋に行くことがあり、幸いにも時間的に恩師の細田和枝先生をお訪ねすることができたため、先生には全楽章を聴いていただくことができた。先生にレッスンの予約をしていたわけではなかったが、私は、いつも先生をお訪ねするとそうするように、このときもピアノを弾いた。弾いたのは、研究中であったモーツァルトである。細田先生は、私の演奏に耳を傾けながら、実に嬉しそうになさっていた。そして、第1楽章を弾き終わると、「美智子ちゃん、上手になったわね。モーツァルトをこんなふうに弾けるようになるなんて」とおっしゃった。私の子どもの頃をご存知の先生ならでは、のコメントである。続いて私が、今回、どうしたらピアノでオーケストラの音を再現することができるのかを気にしており、そのためにどんな努力をしてきたかをご報告した。そのうえで、「昔、妹の伴奏をしたときには、そんなことは気にしたこともなかったです」と付け加えると、先生は意外な返答をなさった。「それは、そうでしょ。だって、指導者(ご自身)が、そんなことを気にしていなかったんだもの。あのときは、『戴冠式』に伴奏をつけて録音しなければならない最初の年で、私自身が、録音ができたことで大喜びしていたような若さだったから」と。しかし、私の問題関心を知った先生はおっしゃった。「伴奏によく出てくる8分音符の刻みの音だけれど、弦の音の響きは、もう少し長いわよ」。要するに、弦楽器の弓のアップダウンで弾くものを、打楽器であるピアノで連打すると、弦のように響きが残らないので、タッチやペダルの踏み方を工夫するなどして、もう少し拍子感、拍が感じられるように心がけるということだ。これは大いに参考になった。
ちなみに、第1楽章と第2楽章については、私の音楽的成長を愛でながら聴いてくださった細田先生が、第3楽章については、音楽の根幹にかかわることを指摘された。曲の途中に私を止められ、「ねっ、この曲、何拍子の曲?」とお尋ねになったのである。それまで拍子をとくに意識せずに弾いていたので、慌てて楽譜を確認した。最初の主題は4分の2であるが、第2主題は8分の6になっていた。先生は、楽譜なしで私の演奏を聴いていらしたのだが、8分の6のアウフタクトで始まる箇所で、演奏の拍感が悪くなるので、「何拍子なのか分からなくなった」とおっしゃった。先生のそのひと言で、第3楽章の演奏が大きく変わった。細田先生は昔から「ひと言」で音楽を変える力をお持ちであったが、その力に今回も接し、先生の偉大さを痛感した。
以上のように、何名かの指導者のご指導を受ける一方で、私自身が独自に研究を重ねたこともあった。例えば、フルオーケストラが和音を鳴らす箇所。打楽器であるピアノで、余り考えずに和音を弾くと、響きが一瞬でなくなり、フルオーケストラが和音を鳴らした後のように残響が残らない。この問題は、鍵盤への体重の乗せ方、打鍵のスピード、およびペダルの踏み込み方・切り方を工夫することにより克服することができることを、今回体得したが、それができるようになるまでに、一体何回和音を弾いたことか。何日も、何百回も、ひたすら和音を弾き、響きを聴き続けた。このときに、例の「上級生の練習方法」が役立った。今はiPadなど、手軽な録音媒体があるので、ピアノの上にそれを置いて、和音を弾き、録音をとり、それを聴き返し、オーケストラらしい残響を求めたのである。
和音以外にも、各主題の歌い方、それを支える和声の響かせ方――とくに和音の中でもどの音をどの程度のバランスで弾くか――、音色――弦の音なのか、管の音なのか、管のなかでも金管なのか、木管なのか――なども、「上級生の練習方法」を実践して追究した。時間を忘れ、真夜中を過ぎ、翌日の仕事に響かないことを願いつつ、慌てて入浴し、就寝する日々だった。
こうして迎えた娘とのコンチェルトの録音の日。青木先生は娘が持てる力を最大限発揮できるように上手にお声かけをしてくださった。お陰様で、1時間程度で満足できる録音ができた。先生への感謝の気持ちは、尽きることがない。
私自身は、スズキ・メソードとの出会いが遅く、8歳から細田先生に師事したが、娘は同じ8歳にして才能教育課程卒業の録音を終えた。娘が2歳からスズキ・メソードで育つことができたことに対しては、単純に羨ましいと思う。しかし、そのことを私が口にすると、夫は「何言っているの、スズキ・メソードで育っただけいいじゃない。その機会すらなかった人がここにいるんだよ」と言って、私をたしなめた。夫は、心底、自分もスズキ・メソードで育ちたかったと思っているようである。