オーストラリア在住のヴァイオリン・ヴィオラ科指導者、ロイス・シェパード先生のご著書「鈴木鎮一先生の思い出」日本語訳の連載第14回です。第7章「人は環境の子なり」の後半です。知られていないエピソードなどが随所にあり、興味深い内容が続きます。
これが私が学んだことです
私が初めて日本のスズキ・メソードに出会ったとき、あまりの日本っぽさに打ちひしがれました。けれど私たちオーストラリア人もただ完全に日本らしい内容というのではなく、この教育的要素を取り入れなければいけないと悟りました。鈴木鎮一先生が「先生の環境の子」ならば私たちも「私たち自身の環境の子」なのです。
とは言っても、突然「あなたはスズキ・メソードで教えていません」と鈴木先生に言われたときは仰天してしまいました。「何か間違ったことをしましたでしょうか?」と答えながら心中パニックになっていました。「あなたはスズキ‐シェパード・メソードを教えているのです」と鈴木先生は仰いました。「スズキ・メソードで教えるのは鈴木だけで他の誰も教えられません」
本当にその通りです! もしスズキ・メソードで学んだことに沿っていなかったり、すでに学んだことなのに抜け落ちてしまっていないかなどと不安をかかえながら教えている先生たちにとっては、「スズキ・メソード」とは罠のような言葉です。鈴木先生は決して「私が教えた通りにしなければいけない。私が正しくて、あなたは間違っています」とは仰いませんでした。その代わりに先生は良くこの言葉を繰り返していました。
これが私が学んだことです。
「仏陀の言葉」という本の中に、盲目の男と象の話が出てきます。それぞれの男に違う象の体の部分を触らせます。脚を触った男は象はすりこぎのようだと言い、尻尾を触った男は象は紐のようだといいます。この話がまさにスズキ・メソードというものを表しています。私たちの物事のとらえ方というのは千差万別です。同じ講義を聞いたとしても、楽器の演奏や映画を見たとしても、それに対しての評価がさまざまなように、提示のされ方やそれまでに私たちが得た知識や経験によって変わります。もちろん、唯一「スズキ・メソード」を教えられるのは鈴木先生だけなのです。
鈴木先生は数十年にわたり、考え方ややり方をたくさん変化させてきました。例えば私が鈴木先生の傍にいた頃は、音階の練習は必要ではないとおっしゃっていました。先生の初期のヴァイオリン教本にはたくさんの音階の練習が載っています。私たちがいつでもスズキ・メソードを理解し、それに従っているという考えは間違いなのです。どのようなスズキ・メソードであるかなのです。松本へ一時滞在するために訪れた時も鈴木先生は「何か新しいアイデアはありましたか。何か進展はありましたか」。それなりの期間、スズキ・メソードを教えてきた私たちにとって初期の試行錯誤していた時代からすると教え方もだいぶ変化を遂げました。教え方に決まりきったやり方というのはありません。禅の修行僧がこう書いています。「日本では海の向こうの日の出を見るために何百万もの人たちが富士山の頂上まで登りました。そしてその旅路話は誰一人として同じではないのです」〜Teach Yourself Zen (Christmas Humphreys)
ロイス・シェパード先生の略歴
ニューサウスウェールズ音楽院及び松本市の才能教育音楽学校を卒業。シドニー交響楽団のメンバーを務める。また、ニューサウスウェールズやヴィクトリアの数々の学校で教鞭をとる。長年、オーストラリア音楽検定委員会の試験官、ヴィクトリア州立大学の幼児教育の学会で講師を務める傍ら、メルボルン大学の音楽院でヴァイオリンとヴィオラを教える。一時期、アメリカの西イリノイ大学のヴィオラ科教授兼スズキ・プログラムの理事を務める。
1960年代前半より、スズキ・メソードでの指導と研究を続けてきた。
ロイス先生は、プロの演奏家を育てることを目的とはしなかったが、その生徒の多くが、シンフォニーオーケストラのメンバーや室内楽奏者、また、スズキの指導者になっている。これまでの生徒は、メルボルン大学、ボストンのニューイングランド音楽院、ニューヨークのジュリアード音楽院、南イリノイ大学、ミシガン大学、ロンドンの王立音楽院などの高等教育機関への奨学金を得ている。また、多数の生徒がメルボルンの私立学校の音楽部門の奨学金を得ている。メルボルンの生徒への指導並びに指導者への指導を続けて、現在に至る。
ロイス先生の長男は現在、IT企業で活躍中。長女は松本で鈴木鎮一先生の下で研鑽を積み、現在、ドイツでヴァイオリンとヴァイオリンの指導法を教えている。2人の孫がいる。