プロの道に進まれたチェロ科の先輩たちからの
祝福メッセージ
チェロ全国大会に寄せて、チェロ科出身でプロの道に進まれた34名の先輩たちから、創設70周年をお祝いするメッセージが届きました。当日のプログラムには掲載しきれない量の素敵なメッセージでしたので、当日プログラムとマンスリースズキとのコラボというスタイルで、本番に先駆けて、いち早く紹介します。(五十音順、敬称略)
荒井 結
スズキ・メソード時代の思い出といえば、支部の合宿から始まり、夏期学校や武道館でのグランドコンサート、そしてアメリカ、オーストラリア、アイルランドなどでの世界大会にて、日本だけでなく、世界中の先生方やお友だちと出会えたことです。
言葉が通じなくても、グループレッスンで一緒に演奏した時の感動は今でも覚えています。
今はチェリストとして活動しておりますが、留学生活や海外での演奏旅行などは、スズキ時代の記憶と経験によって、どの国での生活も環境もとても自然に受け入れることができました。
今、世界はとても不安定で心配な状態が続いていますが、一人でも多くの子どもたちに楽器を手に持ち音楽を奏でてもらうことで、心が豊かな人間が増えることを願っています。また、先生方が導いでくださったように、これからは自分たちが子どもたちの心に寄り添って、音楽家としてのサポートをしていきたいと思います。
荒木匠登
幼少期から十数年お世話になった身として、戦後日本の音楽教育を牽引した大先輩チェリストの方々から脈々と受け継がれるエッセンスを、幾ばくかは自分も継承できているのかなと考えると感慨深いと同時に身が引き締まる思いです。
幼い頃はチェロを生業とすることなど微塵も考えていなかった僕が、紆余曲折ありながらも今こうして充実した音楽人生を送れているのも、基礎的な技術はもちろん、音を楽しむこと、音楽を心の栄養にするという音楽の本質をスズキ・メソードで自然と身につけたからだと思います。(当時は母親に怒られ泣きながら練習することも多々ありましたが笑)
生意気な子どもだった僕にチェロの基礎と楽しさを教えてくださった寺田義彦先生、そして、東京音楽大学でチェロの奥深さとときに厳しさを教えてくださったスズキ・メソードの大先輩である山本裕康先生に心から感謝するとともに、先生方が紡いできたことを僕もチェロで伝えていけるように精進いたします!
公式X @TAKUTO_tACT0610
泉 優志
記念すべき年に、スズキ・メソードで学んだチェリストの一人として、このような形でお祝いの言葉を述べさせていただけることを大変光栄に思います。
スズキ・メソードでの学びは、技術習得のみならず、音楽の表現力を養う貴重な体験でした。特に、“CDの先生”とともに演奏し、音楽的な表現を自分の言葉になるまで深く聴き入ることで、自分の音楽を伝える力が大きく育まれたと感じています。それはチェロのみならず、人としても感受性や自己表現力の成長にも繋がったと感じています。
また、スズキ・メソードでの合奏、弦楽アンサンブル、チェロアンサンブルの経験は、私の音楽的な基盤となり、東京藝術大学卒業後のドイツ留学生活においても、室内楽が好きな大きな理由の一つになっています。
そして大人になり、プロとして同じ中島クラスのチェリストと舞台で共演する際には、まるで家族のような温かい繋がりを感じることを非常に嬉しく思っております。
最後になりましたが、スズキ・メソードチェロ科のますますの発展とご繁栄を心よりお祈り申し上げます。
伊藤ハルトシ
10年後に帰国してからは、すぐに佐藤明先生に師事。 水島先生、佐藤明先生に仕込んでいただいたスズキ・メソードの教えは、プロとなった現在の私にも生き続けています。
ーとにかくお手本となる堤先生のCDや様々なチェリストの演奏を聴きこむこと
ー耳を使って音楽力、感性を高める方法は、当時レッスンしていただいたクラシックのみならず、私が活動するジャズやポップスというジャンルにおいても、大変大きな支えとなっております。
ー音楽は言語に近い
ー 耳の使い方を教えていただき、とにかくたくさんの曲を弾かせてくださったことで、小さい頃から音楽のネイティヴスピーカーになれたことは、ひとえにスズキ・メソードのおかげだと言えます。
ー発表会やサマースクールでのスズキメンバーとの合奏で、学年を問わず、たくさんの仲間たちとのアンサンブルを経験できたことは、大変な刺激と勉強になりました。
スズキ・メソードの環境でないと経験できない、スズキならではの景色は、本当に良き思い出として心に残っています。 この景色の中で特別に印象深かった光景は、先生たちのチェロ椅子並べ(片付け)です 笑。娘たちの発表会では、ついそのスキルを発揮してしまいました。 これからもスズキ・メソードを通して、たくさんの才能が輩出されることは間違いないと確信しています。この先、何十年、何百年と、この素晴らしい学びの場所が続いていくこと、さらに発展していくことを心より願っております!
チェロ科70周年、おめでとうございます!
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江口心一
音楽は、頭と体に染み込ませることができるということを、私はスズキ・メソードで学びました。
スズキ・メソードには約50年前からヴァイオリンでお世話になり、その後5年を経てチェロを始めました。チェロを始めてから45年が経ちます。佐藤満先生にご指導をいただきながらチェロを学び、3年後には「テンチルドレン」の一員としてアメリカ、オーストラリア、ヨーロッパ各地で演奏する機会をいただきました。特に、ニューヨークのカーネギーホールで演奏したフォーレの『エレジー』は、私にとって海外で演奏した中でも最も印象に残るコンサートの一つです。
「どの子も育つ、育て方ひとつ」
子どもの頃にはこの言葉の深さがわかりませんでしたが、今、親となり、子どもを育てる立場になった今、その素晴らしさを心から実感しています。
現在、スズキ・メソードで音楽を学んでいる子どもたちや大人の皆さんは、いろいろな意味で恵まれた環境で音楽に触れることができていると感じています。この素晴らしいスズキ・メソードが今後も永く続くことを、心より願っております。
公式X @eguocchi
小棚木 優
「日々のおけいこ」があまり好きではなかった私ですが、スズキの先生の楽しいレッスン(と、親の叱咤激励)によってたくさんチェロを練習することができました。
お仕事先でスズキ仲間に出会うこともあり、通っていた教室は違っていても、なんとなく思い出話に花が咲きます。 これからも、音楽の喜び・チェロの楽しさをたくさんの生徒さんにお伝えできる教室でありますように。 ますますのご発展をお祈りしております♪
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香月 麗
現在はパリで学んでおり、新しい出会いがたくさんありますが、スズキ・メソードで育った者同士と分かると何も言わずとも繋がりを感じ安心できる、そんな瞬間がたびたびあります。
歩んできた道は違っていても、同じ教本を使い、堤先生のお手本CDを聴いて育ち、音楽が好きになり、音楽と関わり続けているということがその気持ちを生むのだと思います。
第26回チェロ全国大会の4月6日は、鈴木鎮一先生やカザルス先生、ご指導くださった久保田顕先生、チェロ科の先生方へのご尽力に感謝し、想いを馳せる1日にしたいと思います。 大会のご盛会とチェロ科のますますのご発展を祈念いたします。
北垣 彩
月に一度の合奏の時間がとても楽しく、待ち遠しかったです。はじめは少ししか弾けなくて見学する時間が長かったのが、徐々に弾ける曲が多くなり、最後の曲まで演奏できたときは本当に嬉しかったです。
小学6年生のときに杉山先生がお亡くなりになられた時、精神的に不安定になり落ち込みましたが、そんな時に河地正美先生が優しく教えてくださり、チェロは楽しい時も悲しい時も自分に寄り添ってくれる大切なものだと再確認しました。
同じ教室だった友だちとは今でも仲良く、夏期学校では普段生活しているだけでは出会えない全国から集まったチェロが大好きな同世代の人たちとアンサンブルをしたり、遊んだりと充実した夏休みを送ることができました。
スズキ・メソードでは音楽はもちろんですが、同じ教室のお兄さん、お姉さんを見て礼儀正しい振る舞いを自然と身に付けることができ、幼少期からの音楽教育はその後音楽の道に進む、進まないにかぎらず人生において有意義なものだと感じています。
最後になりましたが、創立70周年おめでとうございます。ますますのご発展をお祈り申し上げます。
グレイ理沙
「どの子も育つ」。子どもの持つ可能性を信じ、愛情をもって音楽を通じた教育をしてくださいました。大人になった今その信念の温かさ、素晴らしさを感じます。
音楽は技術を磨くだけでなく、人を育て、人生を豊かにしてくれるもの―そのことを教えてくれたのが、私にとってのスズキ・メソードでした。
・当時の思い出
スズキ・メソードでの思い出は、学校とはまた違った特別な楽しさがありました。練習は嫌いで大変でしたが毎週の先生のレッスンが、本当に楽しみでした。先生は音楽の楽しさを教えてくれる存在であり、ただ弾くだけでなく、音楽を通じて何かを感じること、表現することの喜びを教えてくださいました。その時間は、私の人生の中でも特別に楽しいものでした。
先生は私の第二のお父さんという感覚です。きっと皆さんもそのはずです。
グループレッスンや発表会、グランドコンサートなどでは、毎回友だちに会えるのが嬉しくて、なんであんなに楽しかったのかと思うほど、ずっと遊んでいた記憶があります。音楽を学ぶ場でありながら、それ以上に、仲間と過ごす時間がかけがえのないものだったんですよね。
先生にはシンガポールや台湾へ演奏に連れて行ってもらいました。
今、この文章を仕事で訪れたシンガポールで書いてますが、小学2年生のときの記憶がいまだに蘇ります。あのとき感じたワクワクや、見た景色、新しい世界に触れた驚きが、時を超えて、今の私につながっているような気がします。
台湾では同じ教室の大好きな友だちたちも一緒にいきました。一緒にアンサンブルをした「キャベッジダウン」を弾いてる時の、みんなの楽しそうなキラキラした顔を今でも印象的に覚えています。
台湾で言葉が通じなくても仲良くなれた韓国人の女の子。今は何をしているのかなぁと、ふと思い出すことがあります。
楽器を通じて心が通じ合う瞬間――初めて「音楽は言葉の壁を超える」ということを実感した出来事でした。
スズキ・メソードでの経験は、単なる音楽教育以上のものでした。技術を学ぶことはもちろん、音楽がもたらす喜び、その過程で生まれる友情や、人と繋がる楽しさを教えてくださった先生方や友だちたちに感謝でいっぱいです。
70年という長い歴史の中で、多くの音楽家がこのメソードを学び、世界に羽ばたいていきました。私も、これからも音楽の魅力を伝え、次の世代へとつなげていければと思っています。
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黒川実咲
私は高校生の頃まで中島顕先生の教室に通っておりました。毎年クラスの夏合宿や夏期学校、毎月ある合奏では一緒にチェロを弾いている友達に会えることも楽しみのひとつでした。普段は鈴木の曲がひとつずつ進むたびに、とても嬉しかった記憶があります。
国内だけでなく、シアトルやシドニー、イタリアにも行けたことも本当に良かったです。
今現在は東京フィルハーモニー交響楽団でフォアシュピーラーを務めておりますが、ずっと演奏を続けてこられたのも中島クラスで学んだことが基礎となっています。
音楽を愛する心や、仲間との絆の大切さも教わりました。
中島クラスで過ごした日々は私の人生の宝物です。これからも多くの子どもたちが、素晴らしい音楽との出会いを経験されることを願っています。
そして、70年という長い歴史の中で育まれてきた伝統が、次の世代へと受け継がれていくことを心から応援しております。
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黒川真洋
当時の仲間の何人かとは、今でも再会することがあります。それぞれの道を歩みながらも再びつながれるのは、スズキ・メソードを通して育まれた絆の素晴らしさだと思います。 現在、私は日本から離れ、ベルリンのオーケストラで演奏していますが、恩師である中島顕先生のもとに集まり、音楽を仕事にしている人もそうでない人も含め、数年に一度、現役生とOB/OGがチェロアンサンブルを楽しんでいます。プロやアマチュアという肩書きに関係なく、集まれば皆、子どもの頃のように純粋に音楽を楽しむことができる―そんな時間をとても愛おしく思います。
音楽はいつでも私たちの心に寄り添い、時に驚きや感動をもたらしてくれます。そしてスズキ・メソードは、単に音楽を学ぶ場であるだけでなく、「音楽を通じて人と人がつながる」場でもありました。この素晴らしい文化が、これからの未来を担う子どもたちにも受け継がれていくことを、心から願っています。
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佐古健一
70年という時間の重さとともに、私が在籍していた頃にお世話になった先生方が今も現役で教えていらっしゃることに感慨を覚えます。 母の縁から始まったスズキ・メソードとチェロとの付き合いも35年を超え、チェロは私の生涯の職業となりました。
スズキ時代に得た友だちは、今も交流が続き、職場(新日本フィルハーモニー交響楽団)で毎日椅子を並べて演奏するまでになりました。言葉を覚えるよりも前から一緒にチェロを弾いていた絆は恐ろしさすらあります。
スズキでは、今につながる大事な経験をしていたんだなと、懐かしく思い出します。合奏は、みんなでいい音を出すいい訓練になりました。個性も気持ちもバラバラな人間が同じ方向を向くという訓練は、どんな社会でも必要な事だと痛感しています。
また、「テン・チルドレン」に参加させていただけたのは、本当に貴重でした。日本語もままならない歳で、あんなにも異国・異文化の洗礼を受けたのは、なかなか味わえるものではありません。当時は、アメリカは今以上にとってもアメリカンで、日本もとっても日本でした。 長距離移動の乗り物に乗ると眠くなる条件反射は未だに抜けません。
ともあれ、これからもスズキ・メソードが末永く続き、幼い頃に貴重な経験を積む若者を輩出し続けていってくれることを願ってやみません。 改めて、70周年おめでとうございます。
佐藤桂菜
私は4歳上の兄がスズキでチェロを始めていたので、私が0歳の時から兄のレッスンに一緒に行っていました。言葉を話す前から兄や先輩の皆さんの演奏を聴いていたので、3歳で初めて楽器を持たせてもらえた時は嬉しさでいっぱいだったのを覚えています。
小さな頃は普段のレッスンよりも、みんなに会える合奏や夏期学校、合宿が楽しみでした。それがあったので、やめずに最後まで続けられたのだと思います。 一番の思い出は、久保田顕先生と「すみれの会」でヨーロッパ演奏旅行に行ったことです。 初めてヴァイオリンの方たちとアンサンブルをして、凄く楽しかったのを覚えています。この経験は、今在学しているアメリカの大学に行くことになったきっかけのひとつかもしれません。
アメリカでもスズキの力はとても大きくて、先日学校の授業で鈴木鎮一先生の本、「愛に生きる」を課題として出されました。現在はロサンゼルスの大学院で子どもたちのレッスンもやらせていただいているので、日本に帰国した際は地元の教室で子どもたちと一緒に合奏などできたら嬉しいです。
佐山裕樹
チェロを始めた4歳からスズキ・メソードで育てていただいたので、自分のことのように嬉しいです。
様々な思い出がありますが、その中でも特に印象に残っているのは武道館での演奏です。全部の科が集結をして全員でキラキラ星変奏曲などを演奏するという経験は後にも先にもこの武道館だけでした。その圧倒的なスケールの大きさに驚きと興奮でいっぱいだったのをとても鮮明に覚えています。
これからもクラスに関係なく、チェロ科全員が和気藹々と交流をして、チェロの楽しさを共有・共感できるそんなスズキ・メソードであり続けることを願っております。
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島津由美
毎週土曜日の夕方チェロを担いで、駅前のビルの階段を3階まで上り、お教室の隅で順番を待つ。始まるまでは緊張していても、終わる頃にはなんだか高揚してなんでも弾けるような気持ちになっている!故杉山實先生のレッスンです。
先生に繰り返し繰り返し、言っていただいた言葉は 「いい音かなぁ?」と、「もっと、うたってみよう」 そして合奏やヴァイオリン教室のみなさんとアンサンブルするようになってからは、もう一つ増えて、「みんなの音を聴いて!」この3つです。
「いい音かなぁ?」は自分と向き合うこと。「もっと、うたってみよう」は心を解放すること、表現すること。そして「みんなの音を聴いて!」は、まわりを思いやること、感じること。
幼少期から多感な10代、レッスンのたびに言っていただいたこの言葉に、音楽だけでなく、心も鍛えていただいたのだと思います。 そしてこの言葉が、どんな時も私の活動の原点です。
これからもお稽古されるみなさんにとって、 それぞれの「いい音」を見つける素晴らしい経験がありますように。
スズキ・メソード、チェロ科創設70周年、おめでとうございます!
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島根朋史
一昨年、音大での教え子が日本の「チェロ受容史」について大学の卒業論文を書いており、私自信もその論文指導に携わっておりましたが、スズキ・メソードの佐藤良雄先生を筆頭とする諸先生方の温かく真摯なご指導、心砕きのおかげで今の日本のチェロの世界があるという事実は大変大きく、尊敬の念を抱いてやみません。
私自身も小学生の頃に、お茶の水教室の寺田義彦先生からチェロの手解きを受けられたこと、大変感謝しております。松本の夏期学校では、大きなホール、大勢のお客さんの前でブレヴァールのチェロ協奏曲をソロ演奏したことは、今でもとても鮮明に覚えています。貴重な経験をたくさんさせていただけたことは、まさに宝であり、そのおかげで今の私があります。
20数年前に演奏したブレヴァールは、今思えば私が2020年に博士論文を書き、2024年に全文翻訳と解説を添えて出版したジャン=ルイ・デュポール『チェロ奏法と21の練習曲』と同じく、フランスチェロ界の祖マルタン・ベルトーの系譜に位置する作曲家・チェロ演奏家であり、大変に重要な人物でした。またスズキの教本で練習、演奏したG.B.サンマルティーニのチェロ・ソナタは、長年サンマルティーニ作と信じられていましたが、本当はマルタン・ベルトーが書いた作品であり、私にとっては現在も大切なレパートリーのひとつです。
演奏家・研究者として活動する今の私の基盤を作ってくださったのは、紛れもなくスズキでの初期チェロ教育だったと、自信を持って言えます。本当にどうもありがとうございました。
今後のさらなる発展、日本の若いチェロ奏者たちが、スズキからさらに育っていくことを祈っております。
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John Landefeld
I wasn’t in Japan long before I realized just how much human spirit I had in me! It was like an awakening. I never could have foreseen the change that would occur in me during and after that year long experience.
On a typical day it would have been common to see me walking around the Kaikan music building or hanging out in one of the two large practice rooms, sans cello, instead of practicing like the others. I remember on occasion that Dr. Shinichi Suzuki, around lunch time, would see me in the hallway in my vagabond state and offer his teaching studio for me to use. I knew even then that it wasn’t really an option to say “no thank you”! So I grabbed my cello and began practicing. When he was finished with his lunch he would return to give me a lesson on tone until he taught his next violin student. Dr. Suzuki was passionate about teaching and it showed every time you were around him.
While living in Matsumoto my cello teacher, Karan Nagase, helped my brother and I take up a new hobby. Magic! We were totally consumed by this new activity. We studied the techniques of Nagase Sensei and other great magicians and couldn’t wait to try out our skills on everyone who would indulge us. Indeed, Nagase Sensei took a special interest in my family and we knew it.
Another extremely influential person in my life while living in Matsumoto was Akira Sato. He was also a student at the school but was older than me. I looked up to him and thought he was so cool! I would follow him around everywhere. One day I heard him play the Beethoven A Major Cello Sonata in a recital. This was an event that had a profound impact on me. From that point on it inspired me to practice in earnest. In fact, I was so struck by the beauty of the piece and his amazing playing that I asked him for a copy of the music. This, of course, was not sanctioned by my teacher, but I could not help myself. I HAD to learn at least some of the first movement! Akira Sensei and I have kept in touch and I am proud to call him my friend. I enjoyed seeing him and his family when I took my wife and son to Japan in 2018. Akira Sensei even organized a concert where he, a former student of his, and myself performed together! That was a very special moment, which will live in my memory forever. I will be forever grateful to him for introducing me to that wonderful work and for being such a good influence on me.
I will be eternally grateful to Dr. Suzuki for his wonderful vision, my teacher Nagase Sensei, for taking a special interest in us and showing us many new things, and most importantly to my parents, who took our family to a foreign land to learn a different culture and enlighten us with new experiences that we couldn’t have even dreamed of.
My parents truly understood the power of music in a young person’s life and the discipline that it would instill in me. Thank you mom and dad and to the whole extended Suzuki family including all the teachers that I have had over the years that have influenced me along this incredible journey.
ジョン・ランドフェルド
12歳のとき、音楽家の両親は当時14歳だった私の兄と私を連れて、音楽を学び、生活するために松本(日本)へ引っ越しました。 それまで国外に出たことがなかったため、どんなことが待ち受けているのか想像もつきませんでした。 ある意味、アジアの国を訪れた経験がない限り、その経験に本当に備えることはできないと言えるでしょう。私は、幼い子どもたちに楽器の演奏方法を教える教育法に惚れ込んだ両親の目を通してしか、その文化について何も知りませんでした。
日本に長く滞在する前に、自分の中にどれほど人間的な精神が宿っているかに気づきました。それはまるで目覚めるような感覚でした。1年間の滞在とその後の変化を予見することは決してできなかったでしょう。
典型的な一日として、他の生徒たちが練習しているようにチェロを練習するのではなく、才能教育会館を歩き回ったり、2つある大きな練習室の1つでブラブラしている私をよく見かけたことでしょう。時折、鈴木鎮一先生が昼食の時間頃に、そんな放浪中の私を廊下で見かけて、先生のレッスンスタジオを使わせてくださったことを覚えています。その時も、私は「結構です」とは言えないことは分かっていました。そこで私はチェロを手に取り、練習を始めました。鈴木先生は昼食を終えると、次のヴァイオリンの生徒さんにレッスンをするまで、音色について私にレッスンをしてくださいました。鈴木先生は教えることに情熱を傾けており、そのことは先生と一緒にいると常に感じられました。
松本に住んでいたとき、チェロの先生である長瀬夏嵐先生は、私と兄に新しい趣味を見つける手助けをしてくれました。それはマジックです! 私たちはすっかり夢中になりました。長瀬先生のテクニックや、他の素晴らしいマジシャンのテクニックを学び、私たちに付き合ってくれる人たちに披露するのが待ち遠しくてたまりませんでした。実際、長瀬先生は私たち家族に特別な関心を寄せてくださっていたことが私たちにもわかりました。
松本に住んでいた頃の私の人生に大きな影響を与えた人物の一人に佐藤 明さんがいます。 彼は学校の先輩で、私より年上でした。 私は彼を尊敬し、とても格好いいと思っていました。 彼の後をついて回ることもありました。 ある日、彼の演奏するベートーヴェンの「チェロソナタ イ長調」を聴く機会がありました。 これは私にとって大きな影響を与えた出来事でした。それ以来、真剣に練習するようになりました。 実際、曲の美しさと先生の素晴らしい演奏に感動し、楽譜をコピーさせてほしいと頼みました。 もちろん、先生には内緒でしたが、どうしても我慢できなかったのです。 少なくとも第1楽章だけでも習得しなければ!

2018年の佐藤明リサイタルでは、
ポッパーの「レクイエム」で共演。左は細井唯さん
鈴木先生には素晴らしいビジョンを、長瀬先生には私たちに特別な関心を寄せてくださり、多くの新しいことを教えてくださったことに、そして何よりも、私たち家族を外国に連れて行き、異なる文化を学ばせ、夢にも思わなかったような新しい経験をさせてくださった両親に、私は永遠に感謝し続けるでしょう。
両親は、若い人の人生における音楽の力と、それが私に植え付ける規律を本当に理解していました。母さん、父さん、そして、長年にわたって私に影響を与えてくれた先生方をはじめとする、スズキ・メソードの大家族の皆さん、本当にありがとう。
ジョン・ランドフェルド(チェロ奏者・テキサス州 PLANO SYMPHONY ORCHESTRA 首席チェリスト)
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西谷牧人
私自身、5歳でチェロを始めてから約10年間在籍したスズキ・メソードにはとてもたくさんの思い出があります。毎週のレッスンはもちろん、仲間たちとの発表会・合宿・アンサンブル、武道館の光景、世界大会で訪れたドイツやオーストラリア、そして鈴木鎮一先生との握手。 あの日あの時、松本のスズキを訪れて「チェロがやりたい!」と言わなければ、今の私はありません。私の運命を変えたスズキ・メソードに感謝しつつ、今後のより一層のご発展をお祈りしています。 (チェリスト、愛知県立芸術大学准教授)
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長谷川彰子
この長い歴史の中で、自分もスズキ・メソードで育ったと思うととても誇らしく思います。スズキ・メソードではたくさんと人と出会い、一緒に音楽を奏で、楽しい思い出がたくさんあります。
中でも1番思い出に残っているのは、夏期学校です。そこではいつも習っている先生だけではなくて、他の教室の先生の指導を受けます。個性豊かな先生方、みんなに出す合図一つとってもそれぞれやり方が違って、それが私はとても面白く感じました。他の教室の子たちとも交流があり、弾き方を教えてもらったり、たくさん刺激がありました。
今、私は音楽でご飯を食べていますが、夏期学校で子どもの時に一緒に演奏した友だちと大人になった今、また一緒に演奏する機会に恵まれることもあり、いつまでも人との繋がりを与えてくれるスズキはすごいなぁと思います。
音楽を続けられるなんて当時は想像もできませんでしたが、スズキで養ったものが私をいつも助けてくれて、ここまでこられたと思います。これからもスズキはたくさんの子どもたちを育て、音楽の楽しさを伝えて行くのでしょう。今後のますますの発展をお祈り申し上げます。
ピーティ田代櫻
自分が教える立場になって初めて、先生のご苦労や寛大さ、そしてスズキ・メソードの練り上げられた教育システムに、改めて驚かされる日々です。先生の生徒さんの中には、3歳くらいで始めた子もいるでしょう。地球に生まれてまだ数年、世界は自分を中心に回っていると思っていて、「1週間が7日」「それが積み重なって1ヵ月、1年になる」なんて、まだよく分かっていない子どもたちを、忙しいスケジュールの中で時間をかき集めながらレッスンに連れてきて、毎日のお稽古を習慣にしてくださるお母さん・お父さん方の努力にも、本当に感服しています。
最近は、ふとレッスンの時の記憶が蘇っては思い出し、後悔をしています。先日思い出したのは、「今日は私、ご機嫌斜めなの!」と先生に言い放ったこと。あれはひどい。何度言われても直さなかった親指の位置も、その節はごめんなさい。やっと直りました。 毎週金曜日、先生に会えるレッスンが本当に楽しみでした。先生お手製の選曲ガチャポンは、街中にあるものにそっくりで(街中のはやらせてもらえなかったこともあり)、毎回ワクワクでした。
それから、お稽古終わりに貼らせてもらえるシールもうれしかったなあ。先生のプリクラもありましたね。 いろんなものを先生に見せたくて、ぬいぐるみに飽き足らず、トカゲや文鳥まで連れて行ったこともありました。先生もクモが好きで、分厚い図鑑を持ってきてくれたことも覚えています。
そして毎年の全国大会。1年に1、2回しか会えなかった全国各地のお友だちですが、大人になった今、意外とあちこちで再会します。一緒の舞台に立つこともあれば、コンサートのチラシで見かけたり、地域のアンサンブルに行ったら、お母さまが演奏していて、昔一緒に学んだ友だちが客席にいたり。YouTubeで見かけることもあります。
子どもの世界は狭くなりがちですが、スズキのおかげで大きな舞台に日本各地にお友たちのチェリストのお友だちと一緒に立て、文字通り広い視野を持てたのは大変幸運でした。 たくさんの友だちとのつながりは、スズキで過ごした思い出とともに、これからも続いていくでしょう。
そして、音楽を通じて、チェロを通じて、長く伝承されてきた「チェロを弾く」という文化が次の世代へと受け継がれていく——その大きな流れの中に、自分も関われていることが嬉しくてなりません。 私が子どもだった頃とは違い、世の中はどんどん変化し、子どもたちの置かれる環境も目まぐるしく変わっています。しかし、数百年もの間変わらない楽譜、楽譜から音楽を生み出す作業、そして楽器を弾くための努力は、これから先どれだけデジタルが発達しても、変わらず価値のあるものだと感じます。
チェロ科創立70周年、おめでとうございます。これからもスズキ・メソードが長く長く続くように、私もその一端のすみっこで担えたら幸せです。
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久武麻子
4歳の頃からお世話になった佐藤明先生のクラスでは、個人レッスンはもとよりグループレッスンや合宿など様々なイベントを通じて、演奏する喜びと音楽で交流する楽しさを学ばせていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。今後も幸せなチェリストたちが誕生していくことを楽しみにしております。
プロフィール
桐朋女子高等学校音楽科及び桐朋学園大学音楽学部卒業、フランス国立ボルドー音楽院研究科を修了。在学中、同音楽院室内楽クラスにて審査員満場一致の一等賞の成績を修める。帰国後は日本を中心に演奏活動を始めるが、北米の音楽祭からの招待や外国人アーティストとの共演も多い。2014年ピアニスト深沢亮子氏のサポートのもと初アルバムをアートユニオンよりリリースする。地元横浜に「しのはらジュニアオーケストラ」を設立し、企画や指導を行なう。
福崎茉莉子
3歳でスズキ・メソードに出会ってから、先生や友だちとチェロを弾く時の楽しさやワクワク感、練習した曲をステージで皆で作り上げて一つの大きな作品になった時の物凄い達成感、合宿やイベントならではの楽しかったたくさんの思い出がいつも心の大きな支えとなっていて、お陰様で今も楽しんでチェロを弾くことができています。
スズキ・メソードで教わったことや、チェロの奥深い音色や魅力を今後もっと伝えていきたいです。
ますますのご発展とご隆盛をお祈りしております。
→東京交響楽団公式サイト
細井 唯
今から20年以上前、当時5歳の時に通っていた幼稚園で久保田顕先生がコンサートをしてくださったのが僕とチェロとの出会いでした。
その時に弾いてくださった曲目や、それがきっかけでチェロを始めたいと両親に嘆願したことは覚えてないのですが、チェロに初めて会った衝撃は今でも心に残っております。
その後すぐに、名古屋で教えていらした久保田顕先生のクラスに入り、真面目で厳しくも人情に溢れたレッスンを受けて、チェロと向き合う人生が始まりました。
小学校高学年の時には横浜に引っ越すことになり、2人目の師である茶目っ気とユーモアに溢れた佐藤明先生と出会うことになりました。
2人の素晴らしい指導者に出会えたことが、チェロと出会ってから30年近く経った今、音楽をキャリアにしていけている大きな所以だと感じております。
音楽活動をしているとスズキ・メソード出身のプレイヤーはたくさんいますし、世界を舞台に活躍しているチェリストが同じクラス出身の方だったりするので、とても嬉しく思います。
素敵な先生や仲間に出会えるきっかけとなったスズキ・メソードにはとても感謝しています。
今後ともスズキ・メソード及びチェロ科のますますの発展をお祈りしております。
水野優也
私はチェロを始めた6歳から13歳の7年半をスズキで過ごしました。放課後は外でたくさん遊ぶようなごく普通の子どもの生活を送っていて、家に帰ってからのチェロの練習も、とても楽しくやっていました。 楽器の練習は孤独との戦いと言いますが、毎月クラスの皆で集まって合奏をすることも楽しみのひとつでした。(上手になるとたくさんの曲が弾けるのでモチベーションになりました…!)
松本での夏期学校にも何度も参加して、現地で初めて会う同年代の人と音楽を通して仲良くなることができましたし、毎年再会することも楽しみにしていました。
また、中学1年生の時に「協奏曲の夕べ」に出演し、初めてオーケストラとラロの協奏曲を演奏したことは今でも鮮明に覚えています。私の恩師である河地正美先生がオーケストラで弾いて見守ってくださったことも、大変心強かったです。
今も私の周りではスズキ出身のアーティストが多く、とても嬉しく思っています。
これからもスズキ・メソードチェロ科のますますの発展を祈念しております。改めて70周年、おめでとうございます!
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宮田 大
私は3歳からスズキ・メソードでチェロを始めました。2025年度に39歳になりますので、約36年間スズキ・メソードにお世話になっております。スズキ・メソードは、私に音楽の素晴らしさと大切さを教えてくださいました。心から感謝申し上げます。
70年という長い年月を、チェロと音楽教育の最前線で大きなご功績を世界中に残されてきたことに敬意を表すとともに、今後のさらなるご繁栄をお祈りいたします。
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牟田口遥香
70年という月日の中、たくさんの人がスズキ・メソードをきっかけにチェロを弾く愉しみと音楽の素晴らしさに出逢ったのだろうと想いを馳せています。
私は5歳の時にスズキ・メソードでチェロを始めました。週一度のレッスンのために毎日練習することが日課になり、チェロを弾く同じ年頃の子どもたちと知り合い、グループレッスンを通して合奏の楽しみを知りました。音楽好きの両親の影響で始めた習い事でしたが、不思議なものでその後は音楽の道を志し、今では職業とするようになりました。幼い頃に毎週楽しくレッスンに通ったからでしょう。音楽が生業である以上楽器を弾くことが苦しい時はもちろんありますが、体の奥底まで染み付いた音楽が好きという気持ちが薄れることはありませんでした。
今日ではスズキ・メソードで学んだたくさんのチェリストが世界中で活躍されています。音楽とは別の道に進んだ教室の仲間の近況を聞くこともあり、彼らが今でも趣味でチェロを弾き続けていることを知ると、とても嬉しい気持ちになります。自分自身が音楽家としてもう少し自立できた際には、教える立場として音楽界や社会に貢献できればと考えています。
今後もますますチェロ科が発展されること、そしてチェロと音楽を愛する人が増えることを心から願っております。
プロフィール
2024年フライブルグ大学院卒業、現在ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 契約団員
室野良史
今日の文京シビックホールには、一体何人のチェリストの皆さんが集まっているのでしょうか。40数年前、チェロを始めたばかりの頃に聴いていた音…たくさんの椅子が並べられる音、エンドピンが引きずられ、床に刺さる音、様々な曲の断片、統制をとる先生方の声と、それに負けじと混乱を生み出す生徒たちの声…懐かしく今も私の耳に残っています。
私の恩師、佐藤明先生との出会いは1981年頃のことでした(謎の人、シュガーライト先生の人格が世に放たれる前のことです)。入門以来、先生の下で10数年にわたり、ご指導いただきました。皆様もご存知の通り、明先生は素晴らしいチェリストです。現在はプロとしてチェロを弾いている私の基礎となった技術は、先生に作っていただいたものです。
後にプロを目指そうと決め、ご指導を受けることになった毛利伯郎先生に初めてレッスンを受けた日に「大丈夫。君の基礎は間違っていないよ」と言っていただいた時の誇らしい気持ちは、すべて明先生のおかげでした。
ですが、私が明先生に教えていただいた最も大切なことは、音楽の素晴らしさであり、音楽と歩む人生の素晴らしさ(趣味としてでも、仕事としてでも)であったと思っています。
チェロという楽器は魅力があり過ぎて、私たちチェロを弾く者は、音楽が好きなのか、ただチェロが好きなのか(チェロを弾く自分が好き…という暗黒面へのワナもあります)、わからなくなることがあるかもしれません。しかし、その危険から私を守ってくれたのは、明先生の、音楽に憧れ、音楽を仰ぎ見るお姿だったと思います。この場をお借りして、明先生への感謝をお伝えさせていただくことをお許しください。明先生ありがとう! 今後もスズキ・メソードという場で、多くの方々と、音楽との、素晴らしい出会いが生まれ続けていきますことを、心から願っています。
最後になりましたが、長年スズキ・メソードを支えてこられ、たくさんの生徒たちを育て、見守ってこられたすべての先生方に感謝申し上げます。 本日のご盛会をお祈りしております。
森田啓介
前回の60周年記念大会では、無伴奏チェロ組曲第6番を本日と同じ文京シビックホールで演奏させていただきました。当時、私は高校3年生で、実技の倉田澄子先生も客席にいらっしゃる中、ステージの袖でとても緊張しておりました。
でも、懐かしいチェロ科の先生方から温かいお声がけをいただき、気持ちがほぐれていったことをよく覚えております。
スズキのお稽古では、グループレッスンが大好きでした。お姉さんやお兄さんたちと一緒に弾いて、おやつ休憩の後にまた弾いて・・・あっという間の楽しい時間でした。
第26回全国大会のご盛会とスズキ・メソードのますますのご発展をお祈り申し上げます!
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森山涼介
スズキ・メソードでは、先生のレッスンはもちろんですが、クラスの合奏レッスンや合宿、そして毎年参加していた夏期学校で学んだこと、そして音楽を学ぶ仲間たちとの交流が特に印象に残っております。その中で、先生や仲間からたくさんの刺激を受けて成長することができ、チェロや音楽の楽しさ、上達することの喜びも知りました。現在も、諸先輩方のおかげで、久保田先生クラス出身の皆さんとは繋がりを持たせていただいております。
また、演奏活動でお付き合いのある素晴らしいチェリストの方々にもスズキ・メソード出身の方が多くいらっしゃいます。スズキ・メソードが、チェロの普及とその発展に大きく貢献してきたことは疑う余地もありません。
今後もスズキ・メソードを通じて魅力的な音楽家が育っていくこと、そして世の中に音楽文化がより広く親しまれていくことを願っています。
諸岡拓見
私は4歳の頃、愛知県東名古屋支部の杁中教室でチェロを始め、高校2年生の終わりまで、14年弱の長きにわたって故久保田顕先生にお世話になりました。 これだけの長い期間、習い続けた先生は今だに久保田先生ただ一人で、チェリストとしての基盤のみならず、一人間としても大きな影響を受けました。
小学生までは真面目な性格だった私も、中学生の頃は反抗期で大変な時期がありました。実は久保田先生のレッスンを無断欠席したこともあります。ですがその次のレッスンの時、先生は何もおっしゃらずに普段通りレッスンしてくださいました。今、思い返すと、そうやって静かにどっしりと構えて、難しい時期の成長を見守ってくださっていたのだと思います。
中2の夏、スズキ・メソード内の「すみれの会」というグループのヨーロッパ演奏旅行に参加し、2週間ほどヨーロッパ各地の教会やホールで演奏させていただきました。これが転機となり、音楽の楽しさや仲間と共有する歓びに目覚め、気がつけば現在、巡り巡ってフランスのパリで演奏活動をしています。
クラシック音楽の本場であるヨーロッパの音楽家やオーケストラに憧れていた昔の自分からすると、パリオペラ座のオーケストラに入って演奏活動をしていることなどまったく想像のつかないことですが、これを可能にしたのは幼少期からヨーロッパの往年の巨匠のレコードを繰り返し聴き続け、鈴木鎮一先生の提唱する「母語教育法」を久保田先生や両親が忠実に実践し、音楽の土壌をじっくり耕してくださったからこそと感じています。ここまで私を形作ってくださった久保田先生とスズキメソードの諸先生方には本当に感謝しています。
これからも、鈴木鎮一先生の理念に共感する者の一人として、また一音楽家として、微力ながら恩返ししていけたらと思っています。 今後のスズキ・メソードチェロ科のますますのご発展を心より祈念しております。
矢野智久
たくさんの思い出がある中、あの時の先生の一言がなかったら、今の自分は何をしていただろうかと思うことがあります。
10 歳ごろだったか、あまりにも練習をしない私を見かねた母が、こんな様子では続けても無駄だと思い、退会の意思を佐藤明先生に伝えたところ、「決して止めてはだめだ」と強く諭されたことがありました。
当時の自分を思い出しても、熱心に練習した記憶はほとんどなく、だらだらと何となくレッスンに通っていたにもかかわらず、先生は決して諦めることなく、僕自身が心からチェロを楽しんで弾けるようになるまで、忍耐強く見守ってくれたんだろうと思います。
自分が大人になってから、この忍耐力・継続するという、生きる上でとても重要な力は、チェロを習うことで育てられた能力だと感じています。
私の所属するオーケストラのメンバーは、23 ヵ国の人々で構成されていて、そこではいろいろな興味深い刺激を受けられるだけでなく、時には常識や価値観の違いから困惑することもありますが、お互いの違いを尊重しながら、どんな状況でも日々をハッピーに過ごす上で、スズキで学んで自然に身についたバランス感覚は、きっとそこでも活かされていると感じます。
そして、言葉を学ぶように音楽を学ぶというスズキの素晴らしいメソードは、いまだに高く聳えるドイツ語の壁があっても、演奏を通じて「音」で自分を素直に表現し、人々と素晴らしい音楽を共有することで、心の通ったコミュニケーションができるようになることを教えてくれました。
70 年という時間から、鈴木先生の目指した才能教育に共鳴した先生方をはじめとしたすべての方々の信念が感じられ、自分もその中で学ぶことができたことに心から感謝しています。
才能教育では、言葉を超えたコミュニケーションのできる、豊かな心を持った人が育ちます。
どんな時代になっても、その意味が持つ重要性をますます強く感じます。
これからもさらに先の世代へと続くことを心より祈ります。
分島花音
3歳の頃からスズキ・メソードのチェロ科へ通い、佐藤明先生にお世話になっておりました。 音楽のことなんて何もわからなかった当時、自分とさほど変わらない大きな楽器が魔法のアイテムのように神秘的に見えました。音楽の楽しさ、苦しさ、悔しさ、ときめき、美しさ、驚き、怒り、感情のすべて、その表現の側にいつもチェロがいてくれました。
繰り返し練習した何ページにもわたる譜面はいつもボロボロになって、発表会の時はいつもお腹が痛くなって、舞台袖で緊張で倒れてしまうのではないかと意識が遠のいてもステージで演奏を始めた瞬間、世界と調和したような特別な幸福に包まれて、とにかく楽しくて、永遠に終わらないでほしいと願ってしまう。その魅力に今も取り憑かれています。
グランドコンサートや夏期学校で生徒のみなさんと交流するのも楽しかったです。 噴水の前でブルーハワイのアイスを食べたり、迷い猫を触ったり、池の端に咲いていた藤の豆を取ったり、音楽に関係のないイタズラもたくさんやって先生方に怒られたのもいい思い出です。
スズキ・メソードを通して、たくさんの素敵な縁と思い出をもらいました。あの時、母の手に引かれながらあの教室の門を開けていなければ、今の私はいなかったでしょう。佐藤明先生をはじめ、多くの先生の優しく温かい愛情に溢れたご指導のおかげで、今もこうして音楽を愛し、奏で続けられています。
これからも未来の子どもたちに音楽の素晴らしさを届けられますよう、教室のますますの発展をお祈り申し上げます。
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